続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

幸福感。

2015-01-10 06:09:58 | 日常
 新年事始のサークル。
 淋しいかな三人・・・ここ数年のうちにも年配者が二人他界し、一人は闘病中。園児だった姉妹はそれぞれ中学生や小学生で下校時間が遅くなり、最近は欠席続き。親の介護でやむなくという人もいて、教室は三人揃えばそれでオールキャスト。

 つまりは、休めない。現在足を引きずって歩いている不測の事態でも欠席は・・・と考えて、強行している。
 水彩画のサークルであるけれど、さっぱり。生命力ある活き活きとしたスケッチなどには遠く及ばず、ただおしゃべりに花を咲かせ、それとなく描いて日が暮れるのを待って終了。
 それでも、描かないよりはという低いレベルを死守している。

(しっかりしろよ!)何時までもこんな心構えじゃ、生きながらにして死んでいるも同じ。徒に食べ、寝て起きて日が暮れる(ダメだダメだ)と首を振る。

《新年だもの、新たな気持ちで挑む!》気合いが欲しいねぇ。

 篠田正治が宮本武蔵の作品を選んでいたけど、武蔵はどこまでも気迫の人。小鳥が細枝に止まる、何故止まることができるのか。風袋に比した身の軽さである。蝶や虫が止まるのは納得できるけれど、鳥の風袋の大きさを考えると・・・現実は観念を覆し、小鳥が細枝に止まることは当たり前になる。
 高いところに張られた綱を渡っていく綱渡り。熟練による達成、非凡の技。
 小鳥はその軽さゆえ梢に難なく止まれるのであるが、風袋、姿形から推し量られる観念的な重量を思えば『何故』が沸く。
 小鳥を凝視している武蔵の眼が浮かぶ。尋常な眼差しであるはずがない。

 あ~ぁ、そんな境地には逆立ちしても届かない。
 老眼が進み、世界が呆けて見える昨今、武蔵の気概が欲しい。こんな恐い人の眼差しの欠片を宝物のように胸に抱いて生きていきたいな。


 ところで、わたしたち三人のおしゃべりの結論は、
「こうしてサークルに出てこられるだけでも幸せよ」
「ほんとうに、健康なだけでも最高の幸福よね」
 幸福感に満ちたアラセブン(?)の会話であります。

『まなづるとダァリヤ』28。

2015-01-10 05:52:16 | 宮沢賢治
「あらっ。よして下さいよ。縁起でもないわ。」
 太陽は一日かゞやきましたので、丘の苹果の半分はつやつや赤くなりました。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)を演べる記である。
 他意の要(かなめ)は逸(かくれている)。実(まこと)の究(つきつめること)は蔽(見えないように覆う)。
 課(割り当てた)の半(二つに分けた一方)の釈(意味を解き明かす)。

『城』1846。

2015-01-10 05:21:31 | カフカ覚書
おそらく、ここの空気に耐えられないのでしょうね。しかし、父のことや子供のことがあって、ここを離れるわけにもいかないのです。それに、以前よりもたしかによくなっています。
 Kが知りえたのは、おおよそこれくらいのことだった。


☆おそらくここの空虚には耐えられないのです。しかし、父のことや子孫のことがあって離れるわけにもいかないのです。それにまた以前よりも荒涼としています。Kが知りえたのはおよそこれくらいのことだった。