生活圏、隣近所・・・どこかへ出かけるのに、目的地へ一っ飛びというわけにはいかない。必ず左右に道のどちらかを選択して徒歩で行く。
だから何気なく出会う人を風のように感じながらも、潜在意識の中でそれぞれの情報として集積されていく。まして至近の人であれば何気ない日常の触れ合いがあるので、しばらく会わなければ(どうしているかしら)と、気になる。
ごく眼と鼻の先だけれど、一年を通してほとんど会わない人がいる。その人は身体が弱いらしく、どこへ出かけるにもご主人の車での移動。色が白く眼がパッチリしていてフランス人形のような趣がある美人。(もう50年以上前中学生の時、「フランス人形のような人がいる」と友人に誘われて一級上のクラスへ見に行ったことがある。片足が少し不自由で交互に肩が揺れる歩き方を見て、あの時の少女だと確信している)
ほとんど口を利いたことがないけれど(そう言うわけで)どことなく親しみを勝手に感じている人。
先日、サークルからの帰り、背後に車の停車音・・・振り向くと彼女。
「久しぶり」と、挨拶したら「ずいぶん長いこと、うちの前を通らないから心配していたの」と、ビックリするようなことを言った。
「でもね、あなたの家の前を通るとき布団が干してあると安心するの。ああ、元気なんだなぁって」
び、びっくり!
線が細くて虚弱に見えるあなたを、わたしの方がそれとなく心配していたつもりなのに・・・太って元気そうに見えるわたしの方を心配してくれていたなんて(嬉しいわ)。
自分は見ている一方で、(あの人は?)なんて不遜にも気を回しているけど、地味で目立たない存在だと思っているわたしの事を気にしていてくれたなんて!
見ているけれど、見られてもいる。地域社会はそんな風にそれとなく成り立っているものなのかもしれない。
かつて「俺の顔を知らない奴がいる」と嘆いた古顔の町内会長さん。田畑が住宅地になってからの新住民も、知らないようで知っている、そういう空気が熟成してきたようです。もう30余年にもなりますから。