続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ダイエット。

2015-01-30 06:34:21 | 日常
 ダイエットというものを実行できた例がない。全くの意志薄弱・・・食べてないと死んでしまうのではないかと思うほど、常に食べている。食べ続けている、(これではいけない)と恐怖感に苛まれながらも、つい手が出てしまう。

 昨日ローソンで見かけた小さな袋、レジの傍にあったので店員さんに聞いてみた。
「これ《ダイエットに》って書いてあるんですけど、何でしょう」
「ああ、これはですね、グミのようなもので、嚙んでも嚙んでも無くならないで嚙み続けられるんです」
(だから、ダイエットなのね・・・)

 買おうとして、柿の種五粒くらいの少なさに見えた袋の中身、(わたしならいっぺんに飲み込んじゃうんじゃないかしら)と思い、一寸迷って断念した。

 今考えると(嚙んでも嚙んでも無くならない)というのは、スゴイ魅力。食べ続けているわたしは単に口寂しいだけかもしれない。口の中に何か入っているという状態をキープすれば、たしかにダイエットになる(はず)。
 ただ一日中、それを口にしていることは出来ないから、幾袋も買わないとダイエットにはつながらない。仮に一日一袋として一ヶ月三千円・・・一年で・・・などと考えるほうがバカバカしいのに、そんなこんなでやっぱり断念に傾く。

 楽して痩せる方法はないかしら? 整形の医師いわく「このままの体重でいますと、十年後には・・・」「・・・」

 食べることよりも運動嫌いが一番の欠陥。
 何年か自彊術に通っていた時期がある。その友人に「わたしは無理ね、座れないもの」と言ったら、
「あらやだ、今はもう椅子に腰掛けてやるから、床に座るようなことはないの。だって膝に不具合を抱えている人って案外多いのよ。」と笑った。

 そういえば、お寺でも椅子、食堂の座敷でも掘りごたつ式に腰掛けるように変化している。だからといって増えるがままの体重に安穏としていては、歩行困難になってしまう。

 自分に甘いわたし、ダイエットは有言不実行のままである。

『冬のスケッチ』12。

2015-01-30 06:27:50 | 宮沢賢治
      *
 なにゆゑかのとき きちがひの
 透明クラリオネット、
 わらひ軋り
 わらひしや。
      *
 たばこのけむり かへって天の
 光の霧をかけわたせり


☆等(平等)の妙(はかり知れない)輝(かがやき)。
 転(まわる)講(はなし)の謀(計画)である。

『城』1866。

2015-01-30 06:11:04 | カフカ覚書
父が縉紳館へ出かけていくまでは、母になにも言うわけにはいかない。でないと、父に知られてしまい、すべてが水泡に帰するからである。だから、母に切りだすのは、父が家を出ていってからになる。その場合でも、母の健康を考えると、いきなりせっかちに切りだすことはできない。


☆父が出ていくまでは、母に言うことができない。さもないと、父に知られてしまう。すべては不可能な被造物である。さしあたり差し支えないが、その場合も、母にかかる尊敬は、傲慢でも皮肉でもありません。