続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

洗顔。

2015-01-26 06:51:04 | 日常
 TVで芸能人たちの洗顔法を紹介し、皮膚の状態を検診しているのを見た。それぞれスゴイ努力をなさっている。

 つまりは《昨日のわたしでありたい》という願望、メンテナンス。諦念というか、(なるようにしかならない)という考えのわたしは呆然と、しかし、術があるならと目を凝らして興味津々。でも、ニュースの時刻になり肝心の対処法は見逃してしまった。


 呑み残した牛乳を顔につけたり、胡瓜やレモンでパックをするなんて時代ではない。高級な化粧水やクリームを、お金さえ出せばふんだんに使える昨今である。美に対する執着には限りがない。
 普段の生活などは質素に徹しているように見えたAさん、一緒に通ったトレーニングで汗を流したあとの化粧水の値段を見て驚愕・・・一万円(「うそっ」と思わず叫びそうになった)
 えっ、みんなそうなの(まさかね)百円化粧水でも平気なわたし、心底驚いたことがある。

 それにしても毎日の事、TVで活躍する人たちの努力は尊敬に値するものがある。あそこまでという呑気な感想を抱いたわけではない。あそこまでやり切る日々の努力こそが生活全般にわたって活力を与えているのではないか。120パーセントの努力をしてこそカメラの前で笑うことの確信が持てるのかもしれない。


 まあ、わたしの場合、ちゃんと歩けるようにする努力が肝要。洗顔云々以前の問題。身体能力の著しい欠損は悲劇である。
「わたしはいつになったら、ちゃんと歩けるの?」自問自答している。

『城』1862。

2015-01-26 06:27:47 | カフカ覚書
 こうなると、ハンスは、父をなんとかするためにKに助力を求めているのだった。ハンスとしては、とんだ勘違いをしていたような恰好だった。なにしろ、自分ではKの手助けをしてやるつもりでいたのに、実際には、古くから知っている周囲の人びとはだれひとりとして頼みの綱にならないので、いま突然眼のまえにあらわれたこの異国の男、母の口からさえ出たこのKという男がもしかしたら頼みの綱になるかもしれぬと、さぐりを入れているような具合なのだ。


☆実際、ハンスは父にたいし、助力を求めているのだった。ハンス(団体)としては、彼の信仰を変えようとしているようだった。実際には、昔の環境は誰一人助けになる者はいないので、突然現れた、この力がある異郷(現世)の男から探りだしているのだ。