続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

覚悟。

2015-01-11 06:47:18 | 日常
 人生にはその時々の覚悟というものがあるらしい。老年になり、《もうどうでもいいわ気楽に行くわ》と自分ばかりは楽観視しても必ずしもそのようにはいかない。

 先日のクリニックの待合室。車椅子に乗っていても苦痛で身の置き所がないような老女に付き添いの婦人が言った。
「お母さん、痛いの何のって、生きていれば痛いのは当たり前なの! 我慢しなさいよ。痛い、痛いって周りの人に迷惑じゃないの!」と、憤懣を抑えて母親らしき老女を諌めている。
「大体、お母さんがわがままだから、今のケアハウスを追い出されそうだわ。今日はその件で呼ばれたのよ。困っちゃうわ・・・お母さんは演技するって。もう、痛いなんて言っちゃあいけないのよ。分かった?」老いた母親を追い詰めるように吐き出す言葉の数々。

 待合室は風邪(インフルエンザ)の患者が多いせいもあって、みんな黙りこくっている。時折聞える苦しそうな咳に混じって彼女の押し殺したような言葉が切れ切れに聞えてくる。子供、若い男女、熟年、高齢者・・・通常の患者数を越えた混雑振りでなかなか自分の番が回ってこないのでみんな多少の苛立ちを抱えてうつむき加減に押し黙っている。うっかり口を利いて感染するのも恐いから、ただ静かに口を結んで肩を落としている。

 今にもくず折れそうな老女(90才は超えているように思われ、当然娘さんも60才過ぎ)を叱責する娘さんの声が響くばかり。
 看護師さんがやってきて「もうすぐですからね、ごめんなさいね」と優しい言葉をかけてはくれるけれど、優先とはいかず、わたしの番の方が先にやってきた。(ごめんなさい)と、その後姿に目礼。


 わたしの更なる老後はどうなのだろう。
(痛いから痛いと言ってどこが悪い。わたしなんか一日中ブツブツ言っているよ。)

 あーぁ、年を取るって悲しい。一言も言い返すことの無かった母親である老女。わたしもいつかは疎まれる日が来る。その時は精一杯我慢をしなくてはならないの?
 明るい未来につながらない我慢。痛いという感覚は他人には見えず、伝わらない。黙って辛抱すればそれっきり。

 この世の置き土産に大騒ぎして、あの世にいったら「あっかんべー」って笑ってみようか。否、見えぬ辛抱をして静かに品よく現世に別れを告げるべきか・・・覚悟の選択である。

『まなづるとダァリヤ』29。

2015-01-11 06:22:49 | 宮沢賢治
 そして薄明が降り、黄昏がこめ、それから夜が来ました。
 まなづるが
「ピートリリ、ピートリリ。」と鳴いてそらを通りました。
「まなづるさん、今晩は、あたし見える?」
「さやう。むづかしいですね。」
 まなづるはあわたゞしく沼のほうへ飛んで行きながら白いダァリヤに云ひました。
「今晩は少しあたたかですね。」


☆魄の妙(不思議)な考えの講(はなし)が混ざっている也。奇(風変わり)である。
 命(言っている事)は二つ混ぜている。
 番(代わる代わる)現れる照(あまねく光があたる=平等)の法(仏の教え)であり、秘(人に見せないように隠している)講(はなし)である。
 魄(たましい)を運(めぐらせる)襟(心の中)を番(くみあわせる)章(文章)である。

『城』1847。

2015-01-11 06:09:37 | カフカ覚書
 ハンスの思考力は、母親をKから守らなくてはならないとなると、とみに活発にはたらきだすのだった。そのKに自分からお手つだいしましょうと申し出たくせに。それどころか、Kを母親に会せまいとする大義名分のためには、いくつかの点でまえに話したことと矛盾するようなことまで口にした。たとえば、病気にかんすることなどが、それである。


☆ハンスの思考力は、母をKから保護しなくてはならないとなると、確かに高まるのです。そのKに表向きは手助けしたいと言ったのである。それどころか、Kに会せまいとする大義名分のためには、幾つもの点でかつて話したことと反対のことを言ったりした。あとえば、苦痛の訴えに関することなどである。