続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

終りから始まりへ。

2015-01-31 05:49:10 | 日常
 一日は、お一日と「お」をつけた。何かが変る、新しい始まりの予感、区切りの要、一日は姿勢を正して・・・とここまで書いて、今日はまだ一月三十一日であることに気づいた。

 そんな風に何でもそそっかしいわたし。転んでも立ち上がるというほどの気概もなく、転んだまま這い蹲って視野を狭くしてきたかもしれない。
 二十歳の頃、街の占い師に見てもらったことがある。
「あなた、苦労しますね。ずっとゴミ箱を支えるような人生です。ですが、六十過ぎまで生きれば、良い線が出ていますよ。」

 六十過ぎまで待てないわ、だってわたしはまだ二十歳だよ。悲しすぎる占いの結果。忘れようとして忘れてしまった超不満な診断・・・今ごろ思い出した。
 六十過ぎ・・・大して良いこともないけれど、確かに悪いこともない。平々凡々、貧しいながらお気楽な生活に安堵している。(このことだったのかしら? この程度の良い事だったのかと苦笑い)

 もう終わりだわ人生も終盤、身体の劣化も著しい昨今、皺も深く手など血管が浮き出てまさに老齢そのもの。記憶も定かでなく忘却力の無為に曝されている。
 こんな状態に良い事なんてあるはずがない。

 でもね、あの時の占い師さんの言葉を信じてみたいわ、これから良い事があるんだって。夢想の花でもいいの、もう一度新しい始まりを信じて最後の一歩まで、健気なわたしで行くわ。

『城』1867。

2015-01-31 05:26:30 | カフカ覚書
ゆっくりと、頃合を見はからわなくてはならない。同意が得られてから、やっとKを迎えにいく段どりになる。しかし、それでは、時間がおそくなりすぎはしないだろうか。そろそろ父が帰ってくるのではあるまいか。いや、なんとしても、実現の可能性はない。


☆ゆっくりと、都合のよい機会を待たねばならないだろう。実際、初めに母の同意を頼まなくてはならない。しかし、それではすでに遅くはないだろうか。すぐに父が帰ってくると脅されるのではないか。そう、やはり、その可能性はない。