続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ああ、春なんだ。

2015-03-03 06:03:46 | 日常
 三月三日は雛祭り・・・長いこと忘れていた行事。子供が男の子だったせいもあって女の子のお祭りである雛祭りには疎かったような気がする。三月近くなれば ♪明かりをつけましょぼんぼりに~♪という唱歌を流す商店街で(ああ、そうか)と思う程度の認識度。

 わたしには(戦後のこと)祖母と母が探し回って買ったという内裏雛がある。ずいぶん前に一度だけ思い出したように飾ったことがあるけれど、それっきり。今も天袋に仕舞ったきり、一対だけだから簡単に出し入れできるはずなのに。
(今年こそは、来年こそは)と思いながら・・・。


 そんなわたしだけれど、今年は『吊るし雛』を作って仏壇の脇の壁に吊るしている。女の子として生れて幸福だったか否かは未だに不明だけれど、68才になって始めて女の子のお祭りに目覚めた。

《そうだ、女の子だったんだ。わたしは》子供返りしているのかもしれない。

 今日は博物館《民族》のイベントで流し雛を見に行く。


 ところで、今朝は・・・あれは《ツバメの鳴き声》ではないか?
 あの鳴き声は明らかにツバメ・・・ツバメの飛来。何日か前にも聞いた気がするけど、ネットでの報告(書き込み)がないので錯覚だったのかと思ったけれど、今朝のあの鳴き声は・・・《ああ、春なんだ~》

 何年も(二十年くらい)ほったらかしにしてあるボケの花も季節を忘れずに咲きました。

『冬のスケッチ』41。

2015-03-03 05:52:44 | 宮沢賢治

      * 奉膳
  つめたき朝の真鍮に
  盛りまつり
  こゝろさびしくをろがめば
  おん舎利ゆゑにあをじろく
  燐光をはなちたまふ


☆法(仏の道)は善である。
 聴(注意深く聞き)審(正しいかどうかを明らかにし)、注(文章の意味を書き記す)帖(書付/ノート)は、赦(罪や過ちを許す)の理(道理/すじみち)であり、倫(人の行うべき道)の考えである。