続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

すべてはリハビリ。

2015-03-08 06:18:15 | 日常
 今週の予定を見ても一つも記入がない、予定なしである。

 どこかへ行きたい出かけたいというほどの意欲がない。あちこちで催されている展覧会も独りでは億劫で出かけられない。ルネ・マグリット展を国立新美術館でやるようだけど、大江戸線に乗るのが怖いから(どうしよう)と迷っている。迷っているうちに大抵の美術展は終了してしまう。そんな風な日常である。
 何かのイベントに申し込む→(どうぞ)の通知が来る→自分で申し込んだのだから行かないわけにはいかない。という強迫観念(?)なしには行動できない。自由な行動パターンというものがわたしには無い。

 空白の日常。
「家の中ばかりいたらストレスが溜まるでしょう」と心配してくれる人がいるけど、その閉塞感が好きなのである。
 こんな風だから、足腰弱く、膝関節痛なんかになってしまったに違いない。
 チャイムが鳴る→立ちあがる、この動作が唯一の家の中の運動である。いえ、もう少しある。お湯を沸かす、ゴミを捨てる、洗濯物や布団を干す・・・この程度がすべてである、このすべてがわたしにとってのリハビリになっている。


 この日常を思い返すと、ため息が出る。《これでは!》まるで運動量が足りない、病人としか思えない。

《動けるのに動かない》→《動きたくても動けない》という状態に移行することは目に見えている。
「さあ、今からでも」わたしの中の誰かが誘う。「ちょっと待って、明日からにするわ」と、わたし。

(予定なし)に安らいでいるわたしは、棺おけに片方足を入れている状態かもしれない。

『すべてはリハビリのために!』さぁ、さぁ・・・誰か背中を押してください!

『冬のスケッチ』46。

2015-03-08 06:06:20 | 宮沢賢治
       *
  そのとき桐の木みなたちあがり
  星なきそらにいのりたり。
       *
  みなみ風なのに
  こんなにするどくはりがねを鳴らすのは
  どこかの空で
  氷のかけらをくぐって来たのにちがひない


☆套(おおっていること)を黙っている。
 章(文章)は普く迷(判断がつきかねるほどに)空(根拠がなく)漂(ただよう)の記である。

『城』1900。

2015-03-08 05:54:45 | カフカ覚書
 Kは満足した。してみると、教師のやつは、いつのまにか村長と話をしてきたんだな。あるいは、話なんかせずに、ただ村長がどう考えるだろうかと忖度しただけかもしれない。その結果、村長の意見は、Kに好意的だったのだろう。


☆Kは満足した。空虚(幻影)は従って会衆の長と話をしてきたんだ。ひょっとしたら話さなかったかもしれないが、ただ会衆の長の予想した意見を整理しただけかもしれない。そしてKに対して(それは)有利だったのだろう。