続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

新年度。

2015-03-26 06:59:23 | 日常
 もうすぐ新年度、四月である。
 でもそんなこととは無縁の毎日が日曜日生活。せめて公共機関がお膳立てしてくれるイベントの末席にくっついていけたらなぁと思う。今年限り・・・いつもその覚悟で出かけている。太りすぎて足も萎え、思考力も脆弱になり、自分のしたことを思い出せない昨今のわたし、社会における生産活動にも何の助力も出来ない。

 忙しく働く皆様の邪魔にならないように逼塞した暮らしをしている。階段を一段一段、転ばないように万全の注意を払う、もちろん手すりにつかまる、そういう生活である。
 
 そんなわたし・・・昨日と同じように暮らすことが幸福であるに違いない。昨日と同じだという平凡を侮ってはいけない。時間が経てばすでに昨日と同じではないのだから。すべてのものは酸化し劣化していく、埃が溜まり色褪せていく。この自然の理に逆らうことは不可能である。順応していく。だから昨日と同じというわずかな取るに足らないような反逆(努力)を企んでいる(?)のである。


 高齢者であるわたしにとっての新年度。(その気になってみるだけでも・・・)
 桜咲く季節、四月の「歩こう会」は、お花見の予定。(歩けるかな)の危惧よりも(死んでも歩く)ぐらいの気概をもって参加できると、(いいなぁ)と思っている。


 年寄り気分は捨てて、一人の人間として襟を正し自分のできることを粛々とクリアーしていく。
《新年度》、来年度は生きていないかもしれない(ああ、なんて弱気なんだ)。

 真っ白な心地で『新しい今日に挑む!』よし、これで行こう!

『城』1918。

2015-03-26 06:36:12 | カフカ覚書
彼女の話はこうだった。-わたしは、あなたがハンスとなさっているお話を初めはおとなしく聞いていました。ところが、あなたの二、三の言葉にびっくりして、その文句の意味をもっとはっきりつかまえようとしはじめましたの。そうしたら、お内儀さんがわたしにしてくれた警告、それまではその警告が正当だとは一度も信じたことはなかったのですけれど、こうして考えていると、あなたのおっしゃるひと言ひと言がすべてお内儀さんの警告を裏書しているようにおもえてきましたの、と。


☆ところで、彼女の話はこうだった。ハンス(国、地方団体)との会話をはじめは静かに聞いていました。ところが、先祖と同じ意見だったことに驚いて意味をはっきり捉えようとし始めました。そうしたら、言葉による警告のおかげで、まったく正当だと承認できなかったことを終わりにしないで、それを承認するように思えてきました。