続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鎌倉別館/『幻想の系譜』

2015-03-19 07:14:03 | 美術ノート
 思わず細部まで凝視してしまう作品が多いというのが第一印象である。

 物語に隠された領域を具現化する作品である。同時代の日本では、シンプルで明るく美しい、華美でさえある浮世絵が江戸の町で人気を博していたことを考えると、圧倒的な描写力をもって描かれた怪物などは重く暗い。光景もリアリティゆえにひどく震撼とさせられてしまう。

 解説にもあるとおり「黒は最も本質的な色であり、また禁欲的な色である。」という黒の世界が、細密な描写とあいまって、あたかも幻想こそが現実なのだと突きつけられているような気がする。
 ゴヤは神話(星座など)で仰天するような業の恐怖を描き出し、ルドンは眼をモチーフに奇天烈な印象の世界を提示し、そこはかとない哀愁を忍ばせている。クリンガーは始めて聞く名前だけれど、捉えどころのない心理的浮遊のニュアンス(感想の体現)を感じる。
 幻想という魔術は、空想の場面へ侵入、引きずり込み、洗脳させることである。鑑賞者は恐れを抱きつつ魅了されてしまう。ゴヤの魔性、ルドンの幻花の秘密、クリンガーの魂の漂流・・・究極の幻想シーンに心を揺すぶられ、凝視を余儀なくされる。
 時空は過去(神話・物語)に降りつつも、夢幻の空間へと誘う怪しい雰囲気を併せ持っている。目を閉じたときに感じる夢・仮象への導きであり、小さな扉をそっと開ける禁断・・・そんな魅惑かもしれない。

 世界への揶揄、非現実への畏敬、メロディへの体感を通した景色・・・それぞれ時代を象徴している作品群だと思う。
 徹底的な写実に併せた幻想の世界には切実なメッセージが秘密めく語られている。次の時代を拓く画家たちの足音が聞えて来た時代でもあるけれど、この系譜には確固たる信念が息づいているのではないか、物語性の骨子、精神の深みの具現である。

『冬のスケッチ』57。

2015-03-19 06:49:39 | 宮沢賢治
        *
  すこしの雪をおとしたる
  母のみそらのしろびかり
  あらそふはからす
  枝をのばすはくるみの木
        *
  雪すこし降り
  杉しづまり
  からすども鳴く、鳴く、
  からだも折れよと鳴きわたる。


☆接(つなぐ)簿(ノート)の詞(言葉)は黙っている。
 説(はなし)の考えは、太陽であることは明らかである。
 冥(あの世)の説(はなし/ものがたり)は瞑(暗くてよく見えない)

『城』1911。

2015-03-19 06:29:11 | カフカ覚書
教師は、Kがいそいで寝具を片づけ、体操用具をもとの位置にもどし、とぶような早業でごみを掃きだし、一方フリーダはフリーダは教壇を洗ったり、みがいたりしているのを、しばらくながめていた。


☆空虚(幻影)は、絶え間なく沸き起こる激怒を取除き、監獄の設備を倒した。論争点(問題)に向かっている間、フリーダ(平和)は、フリーダ(平和)で、粗野な詞を並べているのをしばらく見ていた。