埃を被った一台前のパソコン、何となく邪魔でうっとおしかった。接続したプリンターのインクがすでに発売中止(廃盤)になったのを知り、処分することに決めた。都合よく「引き取ります」のチラシを見た。
(ああ、さっぱりしたわ)
ところが、すでに一ヶ月も経って、大事なデーターを入れっぱなしだったことに気づいた。大事といってもわたしだけに大事で、ほかの人には無用のデーター。そのパソコンに買い変えるときにはその前の壊れたパソコンのデーターをお金をかけてバックアップまでしたのに・・・(ああ・・・)
しかし、
3.11から四年、大切なものを失った人たちの喪失感は、わたしなどの比ではない。
書き散らした雑文、メモなどすべて個人的な戯言に過ぎない。大事なものという抽象的な思いしか残っていない。具体的にあれこれ思い出すことさえ出来ない噴飯物。
諦めるしかない喪失感。人は皆そうしたものを抱えているのかもしれない。心の中にすきま風が吹く寂寥感。そういうものを踏み越えて生きて行く、生きないわけにはいかないのだから。
雑文を失ったくらいで大袈裟に嘆いて見せるのは止めよう。むしろ消えてよかったような拙文である。
片付けよう、片付けようとして、つまらない物を残し、大事な物を簡単に処分してしまう。そういう事は往々にして有りがちなこと。
喪失感など何ものぞ、《今を生きる、これからを生きる》
(ああ、さっぱりしたわ)
ところが、すでに一ヶ月も経って、大事なデーターを入れっぱなしだったことに気づいた。大事といってもわたしだけに大事で、ほかの人には無用のデーター。そのパソコンに買い変えるときにはその前の壊れたパソコンのデーターをお金をかけてバックアップまでしたのに・・・(ああ・・・)
しかし、
3.11から四年、大切なものを失った人たちの喪失感は、わたしなどの比ではない。
書き散らした雑文、メモなどすべて個人的な戯言に過ぎない。大事なものという抽象的な思いしか残っていない。具体的にあれこれ思い出すことさえ出来ない噴飯物。
諦めるしかない喪失感。人は皆そうしたものを抱えているのかもしれない。心の中にすきま風が吹く寂寥感。そういうものを踏み越えて生きて行く、生きないわけにはいかないのだから。
雑文を失ったくらいで大袈裟に嘆いて見せるのは止めよう。むしろ消えてよかったような拙文である。
片付けよう、片付けようとして、つまらない物を残し、大事な物を簡単に処分してしまう。そういう事は往々にして有りがちなこと。
喪失感など何ものぞ、《今を生きる、これからを生きる》