続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

喪失感。

2015-03-11 06:06:17 | 日常
 埃を被った一台前のパソコン、何となく邪魔でうっとおしかった。接続したプリンターのインクがすでに発売中止(廃盤)になったのを知り、処分することに決めた。都合よく「引き取ります」のチラシを見た。

(ああ、さっぱりしたわ)

 ところが、すでに一ヶ月も経って、大事なデーターを入れっぱなしだったことに気づいた。大事といってもわたしだけに大事で、ほかの人には無用のデーター。そのパソコンに買い変えるときにはその前の壊れたパソコンのデーターをお金をかけてバックアップまでしたのに・・・(ああ・・・)


 しかし、
 3.11から四年、大切なものを失った人たちの喪失感は、わたしなどの比ではない。
 書き散らした雑文、メモなどすべて個人的な戯言に過ぎない。大事なものという抽象的な思いしか残っていない。具体的にあれこれ思い出すことさえ出来ない噴飯物。

 諦めるしかない喪失感。人は皆そうしたものを抱えているのかもしれない。心の中にすきま風が吹く寂寥感。そういうものを踏み越えて生きて行く、生きないわけにはいかないのだから。

 雑文を失ったくらいで大袈裟に嘆いて見せるのは止めよう。むしろ消えてよかったような拙文である。

 片付けよう、片付けようとして、つまらない物を残し、大事な物を簡単に処分してしまう。そういう事は往々にして有りがちなこと。

 喪失感など何ものぞ、《今を生きる、これからを生きる》

『城』1903。

2015-03-11 05:47:46 | カフカ覚書
Kのほうは、あまり教師の言いなりになっていると、相手の奴隷か身代りにされてしまいかねないということを承知していたが、いまはある程度までは相手の気まぐれを辛抱してやろうとおもった。


☆K自身としては、空虚(幻影)のなすものは、百歩譲って奴隷や新しい笞刑になりかねないということを分かっていた。しかしながら、先祖の今の気分は空虚(幻影)を辛抱強く受け入れ、輝きを望んでいたということを知っていた。