続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

久しぶり。

2015-05-03 07:10:22 | 日常
 先月二十九日某ホテルの一室で清司の三番目の息子である恵一朗ちゃんの初節句のお祝いをした。
 朋子さんのご両親、息子一家(五人)とわたしたち夫婦と長男の健太。
 何となくの雑談、何となくの会食・・・無事に生まれ無事に育っていること。
 それぞれが、難なく暮らしていること・・・それだけで十分。

 倹しい暮らしながら、それに甘んじ、やがてはさらに老いていくわたしたち夫婦も、未来を担う子供たちの成長に目を細めた。

 願うのは「健康」のみ。
 二人の息子は、それぞれ働き盛り。《身体を壊さないようにね》母の願いはただ一つ、それだけ。

「八連休だよ」と息子。
「では、家にも来るのね」
「さぁ・・・」
(どうやらその予定はなさそう)

 いいんだよ、無理に来なくたって。息子たちに与えれるのは《自由》だけ。酒飲みの父と病身の母と内職で明け暮れた自分の半生を思えば、平凡な自由ほど羨ましいものは無い。

 でも今は老いの身ではあっても、その自由がある。

 (だから)、みんな忘れてパッと行こう!


 息子たちもそれぞれ頑張っている。静岡のご両親は介護サービスのお仕事、御利用者様の御意向に沿うよう努めるのは大変であり、従業員たちの士気(意気込み)を高めることにも苦慮多き毎日らしい。


 縁あって、親族としてお酒を酌み交わしている不思議。《仲良きことは良き哉》これで行きましょう。

募金のお願い。

2015-05-03 06:51:39 | 日常
 この奉仕は、何年やっても慣れることがない。
 チャイムを鳴らし他家の人を呼び出しお金を預かる・・・関わることのストレスに十年目にはついに顔面神経痛になり、支部長さんに泣きを入れた。
「あなたの家の近所だけならできるでしょう?」といわれ(負担が少なくなるならと)「ハイ」と肯ずき、暗礁に・・・ああ。

 毎年のこと、終ればすっきり。何の役にもたたないおばさんが、ほんの少しでも社会のお役に立てたという微かな充足感と共に(このまま時を止めて)という気持が過ぎる五月。

 それでも二十年も廻っていると、親しくもなり、疑われることもない。ところが転居して来た方や再婚相手の新顔の奥さんにはさんざん厭味をいわれたり、「こんなの聞いてませんよ」と、つっけんどん。
(まあね、仕方ないよ。これも修行)と、・・・。
 寄付を躊躇う自由は相手側にある、平身低頭(驕りがあるから)傷つくのだと自分に言い聞かせている。


 とにもかくにもあと少し、がんばりましょう!
 日本赤十字社さん、末端はこんな風です。

『冬のスケッチ』99。

2015-05-03 06:45:20 | 宮沢賢治
  みちばたの小藪に
  からだをおとしたとき
  停車場の灯の列はゆれ
  気圏も泣いてゐたらしい。


☆章(文章)は双(二つ)ある。
 底(物事の元になる)赦(罪や過ちを許す)は、常に等(平等)である。
 烈(精神が正しく強い)を基(もと)に験(証拠を確かめ)究(つきつめている)。

『城』1953。

2015-05-03 06:31:49 | カフカ覚書
あなたにたいするわたしの愛は、わたしにあらゆる困難を乗りきらせてくれるはずでした。この愛は、ついにはあなたをも前進させてくれるにちがいないとおもいました。たとえこの村でなくとも、どこかべつの土地でね。この愛は、すでにその力の一端を証明していました。バルナバス一家からあなたを救ったのは、この愛だったんですもの」


☆わたしの不和は、わたしから死を立ち去らせることでした。この不和は最終的には未来を想うものでした。たとえ、ここ来世でなくてもどこか別の場所でね。この不和は、あなたたち先祖の勢力を証明していました。この力がバルナバス(北極星/死の入口の近くを回るもの)の一族からあなたを救ったのです」