続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

無駄な心配/杞憂。

2015-05-29 06:44:49 | 日常
 ついさっきの事が思い出せない。それどころか、今わたしは何をしようとしたのかさえ分からず戸惑うことがある。
(まずいな、これが認知症の始まりなのだろうか)不安が過る。

 粘土で作った仏様の顔をひっくり返すと、(平成3年)という記入。今が平成27年だから24年も前に作ったのかと唖然とする。

 月日が経つのは早い。何か寝ぼけているうちに自分は置いてきぼりにあっているような気がする。乗り遅れた電車を見送って次はいつ来るのかわからない電車を待っている。

 ずっと待っている…何か楽しいことはないかと。他力本願、他人思考の舟に乗せてもらう意志薄弱な行動。

≪本当の自分はどこにいるのだろう≫
 68年の月日を経て肉体は明らかに衰えを見せ、支えがないと歩けないほどである。その支えの欠落、どこをどう彷徨っているのか自分の位置を確認できない。
 歩いているというよりは流され漂流している感覚である。

 昨日は梅酒を漬けたけれど、瓶は昨年の梅酒が梅を出していないままだった。漬ける意味のない行為、にもかかわらず例年通りをあえて実行せずにはいられない。
 それから図書館へ行ったけれど、整理日のため休館・・・それからスーパーへ行き、・・・ひとつ思い出すと連鎖して記憶が戻る。(まだ大丈夫かもしれない)弱々しく肯いて昨日という日を追想。


 若いうちは日々の生活に追われて、自分を顧みる余裕がなかっただけかもしれない。年を取って自分自身を疑う余裕は削除してもいい無駄な時間であるけれど、それだけ間延びした時間を生きている。
 為すべきは山積しているのに、それを無視してただボオッとしている。

(もう少し、あとちょっと)と、苦笑いをしているけれど、案外長い時間になってしまったら(どうしようか)と、無駄な心配をしている。

『城』1976。

2015-05-29 06:16:42 | カフカ覚書
このいやな名前をあのときわたしにはわからない理由から口になさったとおなじようないとおしさをこめて、一度でもいいからわたしの名前も読んでほしかったわ。


☆どうしてあの時、このいやな名前(死の入り口)をわたしには不可解な理由から叫んだのか、同じように愛おしさをこめてわたし(平和)の名を呼んでほしかった。