続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

家族葬。

2015-05-12 06:53:43 | 日常
 家族葬が増えている。
 奉仕活動で伺うと、「主人は去年の十月に亡くなりました。十三年も施設のお世話になりましたけれど・・・」と、打ち明けられる。
 そういえば、Aさん宅でもBさん宅でも。そして「この界隈では三人の方が亡くなったそうですが、わたしはぜんぜん知りませんでいした」というCさんの嘆息も聞いたことがある。


 かくいうわたしも家族葬にしたい。ごく至近の身内が膝を突き合わせて送ってくれれば十分だし、死者が生者を走らせてはならないと思っている。父母を送った経験からも、そう思う。
 この世にお別れする日は、そんなに遠くない。順番待ちと行きたいところだけど、こればかりは神さまの思し召し通りに従うつもり。

《正しく緊張感をもって有終の美を飾る》なんてこと言っていられないかもしれないけれど、まぁ、その時が来たらにっこり笑って手を振りたい。

 未練も無いし、やり残したというほどの仕事もしていない。お気楽な人生だったと括りたい。

 町全体が高齢化している。「あなたお幾つ?」「68才です」「あら、お若い!」
 68才が若いなんて、仰天してしまう。

 佐野町にある亀葬の社長さんが、「アパートの二階にお住まいの方がお亡くなりになり、下の空き地でのご葬儀になりましたが、いい葬儀でした」と述懐していたのを思い出す。
 その葬儀には『心』があったのだと思う。
 周りの人が心から哀悼の意を送る、そういう空気に満たされた場であったのに違いない。


「家族葬でいい」ということが、(簡単に済ましていい)という意味にとられては困る。その人の人生への尊厳に敬意を払い、敬虔な気持でお見送りするという事が形式的にならないように、ということである。

『冬のスケッチ』108。

2015-05-12 06:45:46 | 宮沢賢治
       ※
  ながれ入るスペクトルの黄金
  ひかりかゞやくよこがほよ
  こころもとほくおもふかな。
       ※
  ストウブのかげろふのなかに
  浸みひたる 黄いろの靴した。
       ※
  電信のオルゴール
  ちぎれていそぐしらくもの
  つきのおもてをよぎりてが


☆新しく往(人が死ぬ)のは均(なべて平ら=平等)である。
 芯(中心)の考えは、過(あやまち)を伝え、審(正しいかどうかを明らかにする)。

『城』196 。

2015-05-12 06:27:03 | カフカ覚書
わたしは、聞いているうちに、あなたの目標がますます読めてきました。目標は、あの子の母親、つまりブルーンスヴィック夫人にあったのです。いかにも婦人の病気を案じたような話をなさっていましたが、あなたが考えていらっしゃるのは、ご自分の仕事のことだけということが、ありありとわかりました。


☆目的は自由にあったのです。あなたはいかにもの気づかいの言葉づかいでしたが、あなたの仕事を隠すものではありませんでした。自由をよそおっていましたが、ただあなたの仕事ばかりでしたね。