続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『新聞を読む男』

2015-05-06 06:40:01 | 美術ノート
 四つに仕切られた場面には酷似した部屋が描き出されている。
 窓際の一隅、設えは全く同じであり、しいて言えば下の二枚は床線が少し上がっている。目線は下がっているのに消失点は上がっている、部屋を眺め下ろしているはずなのに、男は真横(正面)から描かれている。高い天井、縦線を強調するストーブによってこれらの不都合(差異)は打ち消されている。新聞を読んでいるという状態に視線が留まるため、男が部屋の中で浮いていることに気づかないように描かれている。

 そしてなおかつ、残りの三部屋には男は不在である。新聞を読む男の存在によって浮上する男の不在。
 四空間(部屋)が酷似していることで差異を探そうとする。徒労に過ぎないが脳がそれを強要する。同じものは同じでなくてはならないという通念があるからである。
 見ることは探すこと、比較し、その差異を把握することで、初めて対象を認識するのではないか。

 景観の中で先ず一番先に目に付くものは人間(動くもの)にほかならない。暗闇の中、山中、街中・・・・あらゆるシーンにおいて目ざとく安否を確認する。人間の持つイメージはそれほどに大きい。一人の男の存在は、三部屋の不在に匹敵するのかもしれない。
 しかしイメージの調和は、常に破綻を孕んでいる。この作品を見ていると、奇妙な不安に襲われてしまう。平穏の中の不気味さとでもいう空気がある。《存在による不在証明、不在による存在証明》

 画面の中の四つの空間は正確に等分され上下左右に等しく真正面から描かれている。この均一性の中の(新聞を読む男)の存在はきわめて日常的である。にもかかわらず、画面からは非日常的な空気を感じざるを得ない。
 酷似した生活空間が喚起するものは整理整頓の行き届いた清浄だろうか。むしろ沈黙の制圧であり、恐怖であるかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』10 。

2015-05-06 06:33:56 | 宮沢賢治
        *
  でこぼこの地平線
  地平線の上のうすあかり
  うすあかくしてたゞれたり
  いづちより来し光なるらん。


☆字で表す千(たくさん)の智(頭の働き)を蔽(見えないようにし)潜(ひそませる)。
 照(普く光があたる=平等)である雷(神なり)の考えである。

『城』1956。

2015-05-06 06:19:52 | カフカ覚書
自分のことが悲しくて泣いているのではないから、なにひとつ隠さなくてはならないことはない、Kの裏切りに腹をたてて泣いているのだから泣き顔を見る辛さぐらいはあじわわせてやるのが当然だ、とでも言いたげであった。-


☆自分勝手に幻影に向かって泣いている。Kの(秘密の)漏洩によって泣いているわけではないのだから、悲嘆するところを見られても隠すことはない。