続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『水浴の女』

2015-05-13 06:21:35 | 美術ノート
 水浴?女は水着を着用しているが、横たわっているのは明らかにベットの上である。窓からは水平線が見えるので、水浴をしようとしている、あるいは水浴をした後の女とも思えるけれど、濡れては困る寝具の上は奇妙である。枕に肱を付きこちらを向いている風情は水浴という活性は垣間見られない。ベットの暗色は女の身体の線を際立たせ、なまめかしいポーズの有様である。誘っていると換言してもいいかもしれない。

 海、砂浜、屋内、カーテンに見える微風・・・白い箱状の立体の上には大きな球体が乗っている。
 球体を完全な物と捉えれば、それは《真理》の具現を暗示する。
 女と真理と海と。

 この球体(真理)は落下を予想させる。落ちても不思議はない静止画像である、むしろ落ちることを想定して描かれた球体(真理)といえる。

『水浴の女』と題されているので、鑑賞者は無理にも水浴をイメージし、女と結び付けようとする。

 嘘なのだ、欺瞞なのである。そう考えると、球体(真理)が女の頭部を打撃するような危惧を抱く。水浴・・・恥部を被う必然はあっても着衣や装飾の虚飾は無い。ありのまま(素に近似した)の状態を曝け出している女。しかし、彼女の真意に決定はあるだろうか。

『心臓の代わりに薔薇を持つ女』と言う作品がある。この場合の薔薇も、『水浴の女』に等しい意味を感じてしまう。つまり、一般に《美しい薔薇には棘がある》触れれば落ちる花弁はあるけれど、触れれば鋭い棘に刺される危険もあるという薔薇の持つ特性は女の不可思議な魅惑である。
 薔薇の前で誘われながらも戸惑う男の眼差しがあってこの作品は成立するものと思われる。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『城』1963。

2015-05-13 05:53:08 | カフカ覚書
あなたは、ブルーンスヴィック夫人をなびかせるより前に、巣で似あの人を騙してお終いになったのです。わたしは、あなたの言葉のなかに自分の過去だけでなく、未来をも聞いているような思いでした。お内儀さんがわたしの横にすわって、すべてのことを説明してくれている、わたしは、全力をふりしぼってお内儀さんを押しのけようとするのですが、そういう努力がむだであることが、はっきりとわかってくる・・・そんな気持でしたわ。ところが、そのさいだまされたのは、じつはもうわたしではなく(わたしは、もうけっしてだまされたりなどしませんもの)べつの女だったというわけです。


☆単に自分の過去もまたあなたの言葉によれば、未来を聞いているようなものでした。言葉はわたしのそばにあり、死を説明し、すべての力をふりしぼって探求しましたが、そのような努力にもかかわらず、あきらかに希望がなかったのです。
 欺かれたのは、先祖の汚点としての裏切りではなく、すでにべつの自由にあったということです。