何もない地平に、立木と岩石が並置されている。ただそれだけ・・・。
『礼節の教え』というからにはこの絵に、教訓があるということである。礼節とは礼儀と節度のことであり、社会や人との関係をスムーズにするための守るべき規約、また言動などの抑制ある慎みを程よく保持することである。
要するに社会のルールとはこんなものである、と言っている。
立木と岩石から連想されるものに何があるだろう。
礼節→立木・岩石・・・仏教でも基教でも、木や石を刻んで像を造ってはならない。(仏教も最初の500年くらいはこの教えが守られていたと聞く)
このことかもしれない。
見る人を圧するような石と立木、あとは何もなく遥かに地平線が見えるのみの光景を、「礼節の教え」だと題している。
拝礼のための像を刻んではならない。
石は石のまま、立木は立木のまま、あるがままの自然を尊ぶこと。否、それ以上に「神は神である主のほかには在ってはならない、という教えを守る者であります」というマグリットの従順、あるいは皮肉かもしれない。
立木は、生きるものであり、石は、死を予感させる。この対比だろうか。生と死の並列は人間の不可避の絶対条件である。人は生き、やがて死に至る。他でもないこの地上において。
何もない地平(空漠)に等価に置かれた『石と立木』の意味するものは『生と死』の暗示かもしれない。
この逃れられない運命を示唆し教えている・・・しかし、礼節の意味を含まないことから、やはり、信仰を基軸にした作品の提示ではないかとも思う。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
※彼らは木に向かって、
『あなたはわたしの父です』と言い、
また石に向かって、
『あなたはわたしを生んで下さった』と言う。
石と木とに姦淫を行って、この地を汚した。
偶像の教えは、ただ木にすぎない。
(エレミヤ書より)
石と木には宗教的な意味が含まれているかもしれない。
『礼節の教え』というからにはこの絵に、教訓があるということである。礼節とは礼儀と節度のことであり、社会や人との関係をスムーズにするための守るべき規約、また言動などの抑制ある慎みを程よく保持することである。
要するに社会のルールとはこんなものである、と言っている。
立木と岩石から連想されるものに何があるだろう。
礼節→立木・岩石・・・仏教でも基教でも、木や石を刻んで像を造ってはならない。(仏教も最初の500年くらいはこの教えが守られていたと聞く)
このことかもしれない。
見る人を圧するような石と立木、あとは何もなく遥かに地平線が見えるのみの光景を、「礼節の教え」だと題している。
拝礼のための像を刻んではならない。
石は石のまま、立木は立木のまま、あるがままの自然を尊ぶこと。否、それ以上に「神は神である主のほかには在ってはならない、という教えを守る者であります」というマグリットの従順、あるいは皮肉かもしれない。
立木は、生きるものであり、石は、死を予感させる。この対比だろうか。生と死の並列は人間の不可避の絶対条件である。人は生き、やがて死に至る。他でもないこの地上において。
何もない地平(空漠)に等価に置かれた『石と立木』の意味するものは『生と死』の暗示かもしれない。
この逃れられない運命を示唆し教えている・・・しかし、礼節の意味を含まないことから、やはり、信仰を基軸にした作品の提示ではないかとも思う。
(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
※彼らは木に向かって、
『あなたはわたしの父です』と言い、
また石に向かって、
『あなたはわたしを生んで下さった』と言う。
石と木とに姦淫を行って、この地を汚した。
偶像の教えは、ただ木にすぎない。
(エレミヤ書より)
石と木には宗教的な意味が含まれているかもしれない。