続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三浦半島の民俗探訪。

2016-10-02 07:37:35 | 博物館講座

〔瀬川先生の授業〕

 今回は横浜市金沢区釜利谷南の手子神社でのお神楽を見学に行くための予備授業。
 「まず、横須賀市浦賀にある叶神社で行われた神楽を撮ってきましたので、ビデオを見てください。市長さんもお見えになり、70名くらいの拝観者がおりました。
 
 神楽とは何か…場を清めて神さまを迎え、時には芸能を披露しながら、鎮魂・飲食・神託を得て、神様を送ることです。
 採物神楽ー手に鈴・扇・榊・剣・弓などをもって舞う神楽であり、神話をもとにした演目が多い。
 湯立神楽ー鎌で湯を沸かしその場を神様に献上し周囲の人にも振りかけることによって穢れをはらい再生をはかる神楽のことです。霜月(旧暦11月)の行われることが比較的多い。
旧暦11月には、日照時間が一番少ない冬至があり神様を含め生命力が減退するという考えから、湯を浴びることで清められ、再生(生命の回復)をはかったとされています。 
 獅子神楽ー獅子頭に神様を招き、厄除けや火伏せの祈祷を目的とした獅子舞。家々を回り門付けをすることが多い。
 巫女神楽ー巫女が鈴や榊をもって舞う神楽。「浦安の舞」が代表で、全国の神社で見られる。
 鎌倉神楽ー鶴岡八幡宮で職掌8家が伝えていた湯立神楽。800年以上前に京都の岩清水八幡宮より伝えられたとされているが職掌制度がなくなり、詳細は不明。戦後、藤沢の神職が講習会を開くなどして普及に尽力しています。

 65世帯くらいの小さな寒村が25世帯くらいに減少した今でも、この季節(お盆)には若者も帰省し総勢相揃ってこの神楽を盛り立てていると聞きます。小さな集落だからこそ神様との親交が厚いと言えるかもしれません。


 当日の手子神社では、「拝殿での演目は見えにくいかもしれませんが他の見学者の方と席を譲り合って見てください。」との注意事項をレクチャー。

 瀬川先生、ありがとうございました。


デュシャン『壜掛け』

2016-10-02 07:08:39 | 美術ノート

 『壜掛け』

 唐突に壜掛けを差し出されても何の意味か分からない。
 しかし、デュシャンを知るにつれ、(ああ!)と判明してくる。

 デュシャンの見つめる先は、虚無・空無、そして循環(運動/熱力学における保存など)である。
 現世があって来世がある、という空気。地球の歴史と共にある水の三態の刹那。偶然の必然化を偶然に引き戻すなど、自然回帰ともいえる空無である。

 この『壜掛け』には、そうした要素が見える。
 壜掛けというのは、空になった瓶をさらに液体の最後の一滴までをも流し出し乾燥させるための仕掛けである。
 この、どこまでも《空》にするという物言わぬ道具に惹かれたに違いない。あっても無くてもいいが(こんな可笑しげなものが)あるという事実を含めて・・・。

 (自分の思考に正しく合致する)この「壜掛け」の地味なたたずまいに、感動を覚えたのではないか。

「あなたは?」と問われたら「わたくしは壜掛けであります」と慎ましやかに応えを用意して、これを作品として提示したのだと思う。(ただ、だれも問いかけることはなかったと思われる)


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)