続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Iさん。

2016-10-07 07:19:12 | 日常

 ラジオ体操で知遇のIさんは、少なくともわたしより一回りは高齢と思われるのに元気である。体操はスッキリとはいかず少々ぎこちないが、毎朝顔を見せている。
 元気だと思うのは、愛用の原付自転車でどこへでも行くことである。三浦半島を右左自在に走り飛ばすかと思えば、野島(横浜)まで浅利掘りに出かけるし、買い物姿も目を疑うほど遠方で見かけるといった具合。

 先日は栗を頂いたけど、昨今は自ら植えた栗の木の収穫に毎朝出かけているらしい。
「今日はアパートに空きが出たので掃除にいかなきゃならない」と言ったり、公園の落ち葉を拾い集めビニール袋に詰めたものを三つも積んだりしている。
「枯葉を集めて米ぬかと水を撒いてたい肥を作るんだよ」と言う。
 そうして老人会のようなサークルに三か所も入っているのは「旅行が楽しみだから」という。
 300坪の敷地、85坪の家に一人で住んでいるらしい。土地柄、歴史研究会の人が訪ねて来るらしいけど「お茶も出せなくてさぁ」「家が広くたって掃除してねぇから上がってももらえない」と笑った。

 忙しく活発に飛んで歩いている高齢者を見ると、元気をもらう。
 Iさん、いつまでも元気でラジオ体操ご一緒しましょうね。


デュシャン『櫛』

2016-10-07 06:37:25 | 美術ノート

 『櫛』

 レディメイド:グレーのスチール製の櫛とあり、長さは16.6×3.2㎝のやや小さめの普通の櫛である。この櫛を提示した真意とは何だろう。

 櫛の特質は、間隔が揃っていて、長さが並べて均一であることという、要するに《平等》である。
 そして、櫛の使命は、髪をなだらかに揃えるという、いわば《矯正》である。矯正は強制に通じる要素を持つものであれば、『櫛は平等と強制を併せ持つものである』という隠れたメッセージを聞くことができる。

 櫛という日用品に潜み隠れている《平等と強制》は、人間の抱く最初にして普遍の心理ではないだろうか。
 画一的に強制しようとする征服欲など支配者の心理にまで及ぶ可能性も否定できない。

 そこここに転がっているような日用品に内在する真理、真理はこのような身近なものに潜んでいるという事実を黙して差し出したのではと思う。
 デュシャンの発見、デュシャンの皮肉である。


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)


『銀河鉄道の夜』259。

2016-10-07 06:29:59 | 宮沢賢治

「ぼくほんたうはよく知りません。けれどもそんなんではなしにほんたうのたった一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。」


☆致(ある状態に至らせる)が逸(かくれている)図りごとがある。
 真(まこと)の仁(博愛や同情の心)が逸(隠れている)図りごとである。


『城』2444。

2016-10-07 06:18:07 | カフカ覚書

そうして開けはなたれた窓から空を見あげたときの父の顔は、ほんとうに若々しく、希望にあふれていました。そういう父は、もう二度と見られない羽目になってしまいました。


☆その幻影は新しく期待できるものでした。むしろ傷痕などは決して見ることはありませんでした。