『風景の魅惑』
何も入っていない額縁にはPAYSAGE(風景)という文字が見え、傍らにはライフル銃が赤い壁に立て掛けてある。
作品の中央に額縁、右にライフル銃、左は何もない(無いものが有る)という構図である。
床面には影が落ちているが背景の漆黒が壁か闇なのかは不明であり、額縁には垂直に立つという不条理がある。つまりは、在るが無いという幻想である。
右端のライフル銃は物理の法に適って置かれているが、赤い壁は〈血〉をイメージさせ、《死》を誘引させる。
左端は空である。
額縁(フレーム)は入り口ではないか。額縁を境に現世と冥府という構図ではないか。
辛苦・恐怖・情熱をも想起させる暗赤色、立て掛けられたライフル銃は死の暗示に他ならず、この入口(額縁)を抜ければ空無の世界が垣間見えてくる。
画面は真ん中から等しく折り畳んだ異世界の風景であり、まさしく『魅惑の風景』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録)
山男はどうもその支那人のぐちやぐちやした赤い眼が、とかげのやうでへんに怖くてしかたありませんでした。
山男はサン・ダンと読んで、Sun(太陽)、談。
支那人はシ・ナ・トと読んで、詞、納、図。
赤い眼はシャク・ガンと読んで、釈、含。
怖くてはフと読んで、符。
☆太陽の談(話)は詞(言葉)で納めた図りごとである。
釈(意味を解き明かす)を含む符(記号)がある。
とにかく、そういうことをもったいぶって約束してくれたり、また、そのほかいろんな話をしてくれたりしたのですが、それは警告としてはたぶんもっともなことばかりなのでしょうが、そこで述べられた約束は、まるで空手形だったのです。
☆このように、ほかの多くの話をしてくれました。たぶんそれは警告としては当然だったのですが、しかし、その約束には全く内容がなかったのです。