『凌辱』
まさに凌辱以外の何物でもない。女性を侮り恥をかかせ、力技で大衆の面前で恥を搔かせている。
性感の対象である乳房や陰部が目や口、つまり顔面になっているという図である。
しかし、なぜか堂々としている。恥じ入る影もなく、むしろ自分を主張している。見ているこちらが恥じ入り後退してしまう。
この裸には、性的な媚びや誘惑の要因がない。真正面から《わたしを見て、これがわたしです》という姿勢である。
滑稽さは有るかもしれない、けれど、これがわたしの真実であるという主張がある。
『凌辱』、画面の中の女性ではなく、見ているわたしたちの方が力ずくで彼女に犯されている気がしてくる。『凌辱』されているのは鑑賞者の方かもしれない。
マグリットは男女における平等を暗に仄めかしている、関係は常に同等であると。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
(ははあ、風呂敷をかけtな。いよいよ情けないことになつた。これから暗い旅になる。)山男はなるべく落ち着いてかう言ひました。
☆普く路(物事の筋道)は識(物事の道理を見分ける)が、常にある。
案(下書き)の慮(考え)は、散(バラバラにした)談(話)の絡(つながり)を惹きつけて現わす。
こうして、まえにお話ししたあの見せかけの勤務が、いよいよはじまりました。おどろいたことに、バルナバスは、最初のときからお城にーもっと正確に申しますと、のちにいわば彼の仕事場になったあの官房に苦もなくはいっていけたのです。
☆こうしてすでににあなたの話したように、あの見せかけの勤務(死)が始まりました。初めての死、あるいは正確には秘書局に入らずに現場不在の部屋に受け入れられたのです。