『不穏な天気』
波静かな海の水平線、連山を見下ろしている位置からの眺望。
雲一つない青空には、雲に酷似した彩色(白)の椅子・チューバ・トルソが浮かんでいる。
トルソ(肉欲・煩悩)、チューバ(声明・告知・主張)、椅子(地位・安定)などを想起させる物は、何を暗示してるのだろうか。光のごとくに君臨している。
『不穏な天気』とある。この三体が不穏さをもたらすのだろうか。三体は浮上しているが、上からの抑圧でもあり、下から叫ぶ民衆の声ではない。
わたしたちは、上からの命令・高い役職からの指令によって動かされている。トルソは私利私欲(煩悩)の暗示であり、地上を動かすものが公平なる神の采配ではなく、人智による支配である以上、《不穏な天気》から免れることはできないのである。
社会生活は天上ほどには高くない所からの人知の采配によって変わり得る天気の下にある。(いつ進軍ラッパが鳴るとも限らない)
『不穏な天気』にわたしたち生活者は常に脅かされている、自然と社会の狭間に翻弄されている。この景観のなかで、いつ不穏が触発されるのか知る由もない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人は尖つた指をつき出して、しきりにすすめるのでした。
☆詞(言葉)を納める図りごとは、千(たくさん)の詞(言葉)で推しはかる。
もちろん、わたしには、父のあの雄大な計画、むなしかったけれども雄大であった、ああいう計画は立てられませんでした。女のわたしには、ああいう思いきった勇気はとてもなかったのです。わたしが考えていたことはあの使者にあたえた侮辱の償いをしたいということだけでいたこの私の謙虚な気持ちをあっぱれだと思ってほしいということだけでした。
☆もちろん、虚しいけれども大きな父の計画でした。わたしにはこの決心を実行できませんでした。
断固として侮辱の償いをしたいと思いましたが、この控えめな気持は功労として受け入れられただけでした。