続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

嬉しい出会い!

2021-04-05 07:36:45 | 日常

 俳句は文字に慣れ親しむくらいの感覚でぼんやり眺めていたけれど、飯島晴子を知ってその深さに驚愕。恐れ多い気持ちで接している。

 滅多に本を読まない、本に付いていけない読書熱の低いわたしであるけれど、『反骨無頼の俳人たち』(村上護 編)を読んで、鈴木しづ子、藤木清子を新たに知ることができた。
 わくわく感、体中の血が沸き立つような歓喜、こみ上げてくるものがある。

 わたしは本当の自分を隠そうとして、人の作品を借りて自分の思いを書く癖がある。彼女たちの裸には、年をとっても自分をさらけだすことに躊躇している臆病かつケチな人間にはない堂々とした誇りがある。

(いいね)を軽く超越する歓喜!頼りなく歩いている白髪の老婆(みすぼらしいかもしれない)にも、こんな素晴らしい奇跡の出会いがあるなんて!

 嬉しくて、うれしくて、はしゃいでいる。


『飯島晴子』(私的解釈)顴骨の。

2021-04-05 07:04:20 | 飯島晴子

   顴骨の高さ似てくる菫摘

 高さ似てくる(高似来)はコウ・ジ・ライと読んで、考、二、瀬。
 菫摘はキン・テキと読んで、均、適。
☆顴骨(頬骨)を考えると、二つの瀬(場所)に均(等しく)適(あてはまる)。

 顴骨はカン・コツと読んで、完、骨。
 高さ似てくる(高似来)はコウ・ジ・ライと読んで、巧、字、礼。
 菫摘はキン・テキと読んで、金、的。
☆完(欠けたこところがない)骨(人柄)である。
 巧みな字には礼(敬意を払う)。
 金(尊く)的(目標)である。

 顴骨はカン・コツと読んで、換、乞。
 高さ似てくる(高似来)はコウ・ジ・ライと読んで、講、字、頼。
 菫摘はキン・テキはと読んで、僅、擢。
☆換(入れ替えること)を乞う。
 講(話)は字を頼りにし、僅(わずかに)擢(多くのものから抜き出す)。


R.M『白紙委任状』

2021-04-05 06:25:17 | 美術ノート

   『白紙委任状』

〈どう解釈されることも自由です〉と、言う。
 鑑賞者はこの作品に描かれた対象を正しく(?)つなげようと試みる。しかし、空間は切れ切れで決して頭の中にある形態(観念)にならないことを知る。
 自然ではないことを悟る、作為、企ては何を意味しているのだろう。

 見えない空間(隠された領域)は自由に想定できるが、見えている時空は動かしがたいと信じている。自由と不自由が隣り合わせに並ぶと、自由を不自由に合わせようという心理が働く。
 集積されたデータは正しいという確信、一つの信念である。しかし、そこに不可視を置換し並置してみると、確信は簡単に揺らいでしまう。

 錯誤、実体を確信する眼差し(観念)は許しがたい暴挙である。観念の崩壊はあってはならない。《虚》は悪魔的に見る者を動揺させる。自動にせよ他動にせよ実利的な教育の基では見えないものは、あくまで物理的解明に頼るしかないのである。
 ゆえに不条理な光景(交錯する時空)は虚偽になり、不安を醸し出す。正解でないことへの脅威である。無視という心の整理で決着させるかもしれない。
 なるほど愉快である、という解釈には至らないのが普通である。

 しかし、精神の自由とは、観念の肯定と観念の否定の狭間にあるという答えを見出せば精神は解放されるはずであり、その眼差しを共有することで世界は開かれるはずである、というマグリットの見解がこの『白紙委任状』である。


 写真は『マグリット』展・図録より

 


『城』3626。

2021-04-05 06:05:42 | カフカ覚書

(あの部屋にいると、部屋の外にあるものは、なんでも寒く冷たくおもえるのです。)りっぱな見知らない部屋で、りっぱな見知らない人たちを相手に奮闘しなくてはならないのです。それも、ただその日その日を食いつないでいくためにすぎません。それだけのことなら、三人の共同生活でこれまでちゃんとやってこれたことでした。


☆来世ではテーマの外にあるものが宗教集団に思えるのです。見知らぬ大きな異教の空間では小舟の計画を改めるためにさまよっているのです。生活するだけなら今までお互いすべてうまくいっていたのです。