続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)さくら鯛。

2021-04-16 07:18:06 | 飯島晴子

   さくら鯛死人は眼鏡をふいてゆく

☆「さくら鯛は腹に子が入っているから身は痩せている。しっかり、よく見なさい!」と、死人(亡夫)の忠告が脳裏を過った。

 さくら鯛(桜諦)はオウ・チュウと読んで、往、衷。
 死人はシ・ジンと読んで、伺、沈。
 眼鏡はゲン・キョウと読んで、厳、況。
 ふいてゆく(拭行)はショク・コウと読んで、燭、光。
☆往(人の死)の弔(とむらい)に伺うと、沈んで厳しい況(ありさま)であり、燭(ろうそくの灯り)だけが光(輝いていた)。

 さくら鯛(桜鯛)はオウ・チョウと読んで、翁、帳。
 死人はシ・ジンと読んで、詞、訊。
 眼鏡はゲン・キョウと読んで現、興。
 ふいてゆく(拭行)はショク・コウと読んで、殖、考。
☆翁の帳(ノート)には、詞(言葉)を訊(問いただす)と現れる興(おもしろみ)を殖(つみ重ねた)考えがある。

 さくら鯛(桜鯛)はオウ・チョウと読んで、王、朝。
 死人はシ・ジンと読んで、視、人。
 眼鏡はゲン・キョウと読んで、間、恐。
 ふいてゆく(拭行)はショク・コウと読んで、属、拘。
☆王朝(帝王による政体)を視(気を付けてみると)、人間(人民)は恐れて属(付き従い)拘(自由がない)。


若林奮『所有・雰囲気・振動』

2021-04-16 06:41:57 | 美術ノート

   『所有・雰囲気・振動ーゆりの樹による集中的な作業』

 所有・雰囲気・振動とは何だろう。すべて感覚であり、在ると思えば在り、無いと思えば無いという形状化しにくいものである。それを形に留めるという作業、試みは作家独自の考えであり、主張である。

 探求、触れない対象を触れるものに置換する。結果の作品は直方体の材のの上部を白くし、方向を示す矢印や掘り下げた四角い穴に埋めた花(あるいは葉)の重層や印のようなものの点在がある。
《大地》、地表の継続としての記録だろうか。形状はおそらくずっと続くことを示唆している。直方体、あるいは直線で示すということは、人類の英知の手が加わった地表(大地)ということである。

 傍らにある渦巻き状の筒はふめいであるが、直方体の継続に関するものとしてのものであり、細い線でつながっている。これは、歴史だろうか(現今に至るまでの長い時間を刻んだもの)。
 タイトルに集中的とあるが、作家の集中的な作業ではなく、集中的にまとめられた歴史(膨大な時間)の集約ではないか。

 存在と時間の集約、『所有・雰囲気・振動』と呼ぶしかない想念である。



 写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館

 


『城』3635。

2021-04-16 06:28:38 | カフカ覚書

でも、いつかは春が来て、夏が来て、いちばんよい季節になるでしょう。しかし、いま思いだしてみると、春も夏も短くて、ほんの二、三日ぐらいだったような気がしますわ。そして、そのに、三日のあいだでも、晴れわたった日だというのに、ときおり雪が降ったりするのです」


☆ただ、いつかは春が来て、夏が来て、一番よい時節が来るでしょう。今、記憶の中では春や夏は短いように見え、その間でも、そんな日は二、三日しかありません。そして、そんな日でも、汚点をつくる馬鹿話が仕掛けられるのです。