続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)荒天の。

2021-04-22 06:56:03 | 飯島晴子

   荒天の谷下刈の人にあふ

 荒天の谷はコウ・テン・コクと読んで、公、転、酷。
 下刈はゲ・カイと読んで、下、界。
 人にあふ(人会)はジン・カイと読んで、人、界。
☆公転(太陽の周囲を回るなど)酷である。
 下界(見下ろした地上)は、人界(人の住む世界)である。

 荒天の谷はコウ・テン・コクと読んで、甲、纏、克。
 下刈はカ・ガイと読んで、果、凱。
 人にあふ(人会)はジン・カイと読んで、陣、皆。
☆甲(よろい)を纏(まとい)克(力を尽くしてかつ)果(結果)、凱(勝どきを上げる)皆の陣である。

 荒天の谷はコウ・テン・コクと読んで、行、点、告。
 下刈はカ・カイと読んで、過、戒。
 人にあふ(人会)はニン・カイと読んで、認、改。
☆行いを点(しらべ)告(知らせる)過(あやまち)。
 戒(戒め)を認め、改める。

 荒天の谷はコウ・テン・コクと読んで、更、展、告。
 下刈はカ・ガイと読んで、化、我意。
 人にあふ(人会)はジン・カイと読んで。腎、悔。
☆更(入れ替え)展(開いて)と、告げる。
 化(形、性質を変えて別のものになる)我意の腎(かなめ)は、悔いである。

 


若林奮『所有・雰囲気・振動ー森のはずれ』

2021-04-22 06:24:13 | 美術ノート

 いくつもの模型を作っている、この意図は何か。
 自身と世界(空間)の接線の体感、《森のはずれ》は自分自身の拠点である。

 常に自身と他者、自身と近景、自身と遠景、自身と世界の関係を問い詰めている。それが空洞であったり凸凹であったり…傷、あるいは突起の変則、曖昧かつ不透明な確信、揺らぎの把握である。

 言葉という記号ではなく、物質の質感・形状で自身の位置と状況を抽象化し触覚で確認しようとしている。ねらいは造形美にあるのではなく、あくまで自身と周囲の空気感との兼ね合いであれば、硬質の壁、往来自由な通風口、そして草木の自然は必然である。

 あるべき関係性、具体的なものの排除、世界との関係は常に矛盾を孕んでいるから確定(決定)は困難であり、あらゆる角度からの観察を要する。

 客観と主観の狭間を「所有・雰囲気・振動」と名付けたのではないか、と思う。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館


『城』3639。

2021-04-22 06:13:24 | カフカ覚書

わたしは、こういうことにはまだ経験がありませんが、お内儀さんをきのうみたいないって快な目に会わせることだけは、きっと二度とないようにします。そう言って、Kは、出ていくためにお辞儀をした。お内儀は、じっと彼を見つめていたが、そのまなざしは、まるで夢をみているようだった。


☆わたしは、まだ少しの経験しかありませんが、このような不愉快なことを引き起こすことは再びないようにします。そういってKは出ていくためにお辞儀をした。女主人はそれを見ていたが夢のようなまなざしだった。