続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈴木しづ子(私的解釈)大寒の。

2021-04-06 13:42:22 | 鈴木しづ子

   大寒の東京駅にひとを待つ

 凍るような時空である。
 東京駅は誰もが知る駅であり、日本の中心である。大寒という大きな冷却された空間から駅にスポットライトが当たる。行き交う群集や騒めきは凍り付いた空間では動きを止めてしまう。

 ただ一人・・・群衆の中の一人がそこに固定される。他は霧消し、蒼白の単色が辺りを染める。解放されているのに閉じられており、ただ一人の息づかい、深いため息が漏れる。呼吸は止まっているかもしれない。
 雑踏の中の静謐、彼女の眼差しは探しているが留まっている。

 世界の中心で《ひと(彼)を待っている》
 限定の時空ではない、永遠に待っているかもしれないし、過去の残像かもしれない。待つという時間の停止には切なく哀愁を帯びた情感がある。

 諦念か期待か、あるいは姿を現さなかった男への腹立ちか。
♪雪が降る…あなたは来ない~♪というロマン・・・さらなる凄まじい冷徹・鋭敏な感性をこの句は秘めている。


『飯島晴子』(私的解釈)老獪や。

2021-04-06 07:12:15 | 飯島晴子

   老獪や冬山脈に枕干し

 冬山脈はトウ・セン・ミャクと読んで、当、選、脈。
 枕干しはチン・カンと読んで、賃、間。
☆老獪や(ずるがしこい)当選の脈(すじみち)、賃(報酬、代償として支払う金銭)が間にある。

 老獪はロウ・カイと読んで、浪、悔。
 冬山脈はトウ・サン・ミャクと読んで、蕩、惨、脈。
 枕干しはチン・カンと読んで、沈、感。
☆浪(無駄)を悔やむのは、蕩(だらしなく)惨(傷ましい)。
 脈(前途の見込み)がなく、沈んでいく感じがする。

 老獪はロウ・カイと読んで、朧、界。
 冬山脈はトウ・サン・ミャクと読んで、灯、散、脈。
 枕干しはチン・カンと読んで、沈、感。
☆朧(ぼんやりかすんだ)界の灯りは散(ばらばらに)脈(続き)沈(物静かな)感じである。

 老獪はロウ・カイと読んで、露、解。
 冬山脈はトウ・サン・ミャクと読んで、問う、三、三訳。
 枕干しはチン・カンと読んで、珍、観。
☆露(現れる)解を問うと、三つある。
 三訳は珍しい観(考え方)である。


若林奮『不明確性について』

2021-04-06 06:21:27 | 美術ノート

   『不明確性について』

 不明確性についての作品である。
 不明確性とはこれである、と言い、不明確であるからよく分からない、という二つの答えを孕んだ作品の提示は、問題定提議である。

 木製の板には方形の空間(溝)があり、金属板で方形の空洞として埋められている。通称トンネルの形をしているが上部は平らで上から圧すものはない。
 厚みのある板は大地(地上)だろうか、上部は金属板に等しく平坦である。四角あるいは丸(点)が整列して打たれている。連続しているようだが、不連続でもある。

 断面から覗くと空洞は穴であり閉塞の不安と人智の工作の合併である。通路、抜け道・・・地上からは見えない時空は人智による隠ぺい(秘密)か、繁栄のための仕事によるものか不明である。美しさも機能も地上からは見えない。見えないが、有るに違いない地下の空虚(世界)。

 木板は世界だろうか、打たれた鋲は統治下の人民の暗喩だろうか。
 全く何の役にも立たなそうな不可解な代物は作家の意図であり意思であり、問題提議である。捉えようとするとスルリと答えから外される亀裂の感。
『不明確性について』は、作家の視点、眼差しのありようを的確に表しているのかもしれない。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』(横須賀美術館)より


『城』3627。

2021-04-06 06:11:48 | カフカ覚書

いまわたしがあそこへ帰っていっても、ふたりはおどろきもしないでしょう。わたしをいたわるためにだけ、すこし涙を流したり、わたしの運命を嘆いたりはしてくれるでしょう。


☆わたしが戻っても、たぶん全く驚くことはないでしょう。わたしに従い、少し泣いて運命を悲しんでくれるでしょう。