続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)ぐみの木の下に。

2021-04-28 07:26:11 | 飯島晴子

   ぐみの木の下にしやがんで他力つく

 ぐみ(茱萸)はシュ・ユと読んで、酒
 木の下はモク・カと読んで、睦、呵。
 他力つく(他力付)はタ・リキ・フと読んで、駄、力、夫。
☆酒を愉しみ、睦ぶことを呵(咎める)。
 駄(つまらないことに)力(力を尽くす)夫。

 ぐみ(茱萸)はシュ・ユと読んで、衆、癒。
 木の下はボク・カと読んで、牧、過。
 他力つく(他力付)はタ・リョク・フと読んで、田、緑、普。
☆衆(大勢の人)を癒す牧(牧場)を過ぎると、田の緑が普(あまねく行き渡っていた)。

 ぐみ(茱萸)はシュ・ユと読んでは、須、臾。
 木の下はボク・カと読んで、僕、暇。
 他力つく(他力付)はタ・リキ・フと読んで、他、力、浮。
☆須臾(わずかな時間)僕(わたくし)の暇(仕事のない手すきの時間)がある。
 他力(他人の助力)で浮いた(時間)である。


こんな所でも…。

2021-04-28 07:13:46 | 日常

 隅っこ、コンクリートのほんの隙間、四十年目にして突然芽を出したデイジー。雑草かと思い抜こうとして「?」と躊躇った。やがて、葉が、そして花が、びっくり!!こんなところに咲くなんて、わたしも負けられないね。


若林奮『Valleys』

2021-04-28 06:28:11 | 美術ノート

   『Valleys』

 道は真っ直ぐ続いている、両脇は急な勾配の遮蔽がある。金属質の壁は到底人力では登りきることが困難な勾配である。
 作品は永久に続く状態の一端を切断して見せたものであり、完結ではない。地球は丸いということを知っているが、見渡す限りでは地平線は平らであり、海は水平にしか見えない。
 継続、元に戻る道(通路)の一端であることは、突然の切断面で推測される。
 しかし、突然の開口は《死》であり《生》の出入り口をも示唆している。続行しているが、終末であり発足であるという重複がある。

 美しさの排除、善悪の起伏も消されている。ただ、道が続き、起点と終点の判別を不明にして、存在すべき空間だけが厳然と在る。

 無だろうか、有だろうか。確かに刻まれた時空は、天空に向かって開かれている。とりとめもないほどの解放は自由を保障するが、地上に立つ生きた人間に許された道は一つしかない。しかも掟のようにはだかる壁は頑強であり無言の圧力と拘束がある。

 解放と拘束、始まりと終わり、しかし道は続き歩き続けなければならない。
 作品は、作家自身の人生に対する問いであり答えではないか。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館


『城』3643。

2021-04-28 06:18:19 | カフカ覚書

お内儀さんの服のことでどんなことを言ったのでしょうかね。これまでに見たこともないほど美しい服だというようなことでも言ったのでしょうか。すくなくとも、宿屋のお内儀さんがあんな服を着て仕事をしているのを見たのは、初めてでしたよ。


☆無力な氏族を除去したとでも言ったのでしょうか。これまで見たこともないほど愉快なことで少なくとも今なお、氏族を除去し、現場不在で被われているのを見たのですから。