続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)なか空の。

2021-04-20 07:04:37 | 飯島晴子

   なか空のひかり非力のすみれ草

 なか空(中空)はチュウ・クウと読んで、中、空。
 ひかり非力(光非力)はコウ・ヒ・リキと読んで、講、非、力。
 すみれ草(菫草)はキン・ソウと読んで、勤、総。
☆中空(中が空っぽ)の講(話/考え)は非力(力が弱く乏しい)。
 勤(精を出すこと)が総てである。

 なか空(中空)はチュウ・クウと読んで、知友、食う。
 ひかり非力(光非力)はコウ・ヒ・リョクと読んで、講、悲、緑。
 すみれ草(菫草)はキン・ソウと読んで、僅、草。
☆知友の食う(食事)の講(はなし)は悲しい。
 緑の僅(わずかな)草だなんて!

 なか空(中空)はチュウ・クウと読んで、酎、空。
 ひかり非力(光非力)はコウ・ヒ・リョクと読んで、荒、疲、力。
 すみれ草(菫草)はキン・ソウと読んで、僅、瘦。
☆酎(酒)は空しい。
 荒(おぼれる)と疲(衰える)。
 力(働き)は僅(わずかになり)痩(やせ細ってしまった)。


若林奮「森のはずれ」のための模型

2021-04-20 06:26:33 | 美術ノート

   「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型

 森のはずれ、とは何を指しているのだろう。森という領域ではなく、その外れ・・・森は中心であり、それを囲むすべてだとすれば《はずれ》は世界全体になる。森を支点とした世界だろうか。
 森はある意味閉ざしている、入り込むことが困難な領域でもあるが、それを世界(地球)の支点としてコンパスを回す。森は〈作家自身〉かもしれない。

 自己と世界の隔絶、迫りくるものとの対立。
 自身の中の世界(意識)は世界につながっているが、決して溶け込めないバリアがある。
 わたくしという存在は、世界の外気(目に見えない所有・雰囲気・振動)と連動しているが、隔絶されている。
 この隔絶は、学習されてきたデータの集積、常識・観念によるものではないかという景色である。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館


『城』3637。

2021-04-20 06:11:52 | カフカ覚書

彼女は、Kがまだここにいるのを知って、おどろいたふりをした。Kは、じつはお内儀さんをお待ちしていたのです。と言い訳をするとともに、ここで泊ることを許してもらえたことのお礼を述べた。お内儀は、Kがなぜ自分を待っていたのかが理解できなかった。


☆彼女はKがまだここにいたことに驚いた。Kは女主人を待っていたのだと弁明し、ここ小舟の上でいたことにも同意した。女主人は、Kがなぜここで待っていたかが理解できなかった。