続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)夏の禽。

2021-04-23 07:10:42 | 飯島晴子

   夏の禽たつて近影なき家人

 夏の禽はカ・キンと読んで、夏、禽。
 たつて近影(発近影)はハツ・キン・エイと読んで、発、近、詠。
 なき家人(無家人)はム・カ・ジンと読んで、無、歌、人。
☆夏の禽(鳥/燕)が発って、近詠(最近作った詩歌)の無い歌人。

 夏の禽はカ・キンと読んで、嫁、金。
 たつて近影(発近影)はハツ・キン・エイと読んで、初、勤、営。
 なき家人(無家人)はム・カ・ジンと読んで、務、果、腎。
☆嫁(かせぐこと)は金(尊い)。
 初めての勤(つとめ)の営(仕事)、務めは果(思い切ってやること)が腎(大切)である。

 夏の禽はカ・キンと読んで、夏、衾。
 たつて近影(発近影)はハツ・キン・エイと読んで、撥、禁・影。
 なき家人ブ・カ・ジンと読んで、舞、嫁、人。
☆夏の衾(夜着・ゆかた)で撥(はねること)を禁(つつしむ)。
 影(月影)で舞(踊る)嫁にいく人。

 夏の禽はカ・キンと読んで、過、襟。
 たつて近影(発近影)はハツ・キン・エイはと読んで、発、謹、洩。
 なき家人(無家人)はム・カ・ニンと読んで、無。訛、認。
☆過(あやまち)の襟(心の中)を発(明らかにする)。
 謹(つつしんで)洩らす無(虚しさ)、訛(間違え)を認める。


若林奮『所有・雰囲気・振動』

2021-04-23 06:38:18 | 美術ノート

   「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」

 所有・雰囲気・振動、いずれも不可視であり感じるという曖昧かつ精神的な領域である。
 この言葉の選択、この言葉に行きついたこと自体、虚を突かれた思いがする。

 名づけさえしなければ、存在の有無さえ不明なものである。あくまで主観であり、(わたくしの領域)である。この感覚を質量を伴った見えるものに置き換えるという難題。I think so.
 自由で拘束のない発想であるが、選択は困難である。彩色はモノクロ、材質は紙・木・金属、引っかいたり重ねたり…景色はそれぞれだが、よく見ると、物や形にはや発言力があり鑑賞者を誘引する接点がある。どこまでもあるがままの自然ではなく自身の主張である。

 この地上に立った時の感覚、存在感は自身と周囲(世界)との景色の接点にあり、自身の五感による答えが「所有・雰囲気・振動」そして「森のはずれ」という自身の拠点を俯瞰したものなのかもしれない。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館


『城』3640。

2021-04-23 06:30:03 | カフカ覚書

「あなたは、きのうずうずしくもわたしの服のことでなにか言ったようでしたね」
 Kは、思いだすことができなかった。
「思いだせないのですか。ずうずうしさのつぎには卑怯をきめこむってわけね」


☆「あなたは、きのう、不遜にもわたしの氏族のことを言いましたね。Kは思い出すことができなかった
「思い出せないのですか。不遜のつぎは憶病になるんですね」