続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『冬のスケッチ』121。

2015-05-28 06:34:37 | 宮沢賢治
四四   ゆきをかぶりて
     青らむ天の 
     下にあり
         ※
     寂まりの桐のかれ上枝
     点々かける赤のうろこぐも


☆章(文章)を転(ひっくりかえして)化(形、性質を変えて別のものになる)により惹(ひきつける)。
 祷(神仏に祈る)照(遍く光が当たる=平等)の詞(言葉)を伝え、展(ひろく)釈(意味を解き明かす)。

『城』1975。

2015-05-28 06:17:27 | カフカ覚書
だけど、あなたがたくさんのことをわたしに隠していらっしゃることはあくまで事実です。あなたは、帰ってきてはまたお出かけになる。どこから帰ってきて、どこへお出かけになるのか、妻のわたしが知らないのです。ハンスがノックしたしたときも、あなたは、<バルナバスだ!>とお叫びになった。


☆あなたが、たくさんのことをわたしに秘密にしていることは真実です。あなたは来ては出かけますが、どこから来て、どこへ出かけるのかわかりません。ハンス(国)が打診したときには、「北極星だ(死の入り口だ)と叫んだのです。

手作りの洋服。

2015-05-27 06:48:16 | 今日の一枚。
 何か手を動かしているのが好きかもしれない。
 なんとなく出来上がっていくプロセス…こうして作った服も気に入らなくて手を通さずに処分の憂き目にあったものもある。それでも・・・。
 これはわたしに潜んでいるDNAの悪戯だろうか。ただ一人で手を動かしている、何思うことなく。

『冬のスケッチ』120。

2015-05-27 06:36:51 | 宮沢賢治

       ※
  よくも雲を濾し
  あかるくなりし空かな。
  うつろの呆けし黄はちらけ  
  子供ら歓呼せり。

       ※


☆運(めぐりあわせ)を慮(考える)。
 空である法(仏の道)の講(はなし)である。
 詞(ことば)で教えを貫く己(わたくし)である。

『城』1974。

2015-05-27 06:19:33 | カフカ覚書
「ものごとの筋道をちゃんと見つけだすのは、とてもむずかしいことだわ」と、フリーダは、ため息をもらした。「たしかに、あなたにたいして不振の気持ちをいだいたことなんか、これまでに一度もないわ。そして、もし不信感のようなものがお内儀さんからわたしにのり移っていたとしたら、それをよろこんで投げすて、あなたのまえにひざまずいて、赦しをもとめますわ。わたしはね、どんなにえげつないことを口にしても、ほんとうはいつも赦しを乞いながら言っているのよ。


☆「行くべき道を見出すのはとても困難なことです」と、フリーダ(平和)はため息をついた。わたしはあなたに不信感を抱いたことなど一度もありません。もし言葉がわたしを通してそうだったとしたら却下します。あなたの前にひざまずいて赦しを求めます。もし、とんでもなく悪意のある事柄の伝説ならば、実際いかなる時も赦しを乞うでしょう。

マグリット『夏』

2015-05-26 07:11:15 | 美術ノート
 建物(四階建て以上の高層)をバックに空を映した旗が揺らいでいる。

 個性を隠した窓、一つ一つにはそれぞれの人生が隠れている。百あれば百の人生模様が刻まれているはずの窓の外観は実に無個性である。
 その建物の前に掲げられた旗。旗は象徴、集団・組織・国のシンボルである。その旗に映る雲多き青空。

(この旗は何を意味しているのだろう)四次元空間・・・時とともに変幻自在に形を変えていく雲、留まることなく予測不可能なまま変化していく形態。動かされるのでなく動いている自然。束縛はなく、宇宙の原理に従って姿を変えている。空はどこまでも青く見える、どこまで行っても空である。

 この解放感/自由に上からの指令はない。
 この旗こそが、望み掲げられるべきシンボルである。この解放感に近似したイメージとして『夏』を選択したのだと思う。

 しかしこの旗を見るべき窓の住人はカーテンを閉ざしたままのように見える。


 そして、マグリットの掲げた『自由の旗』は不穏である。いつまた曇り、嵐を呼ぶかを予測できない。だから、換言すれば『決意の旗』でもある。
 自然、大宇宙への敬意。マグリットの信仰、真意を垣間見た思いがする。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』120。

2015-05-26 06:51:13 | 宮沢賢治

       ※
  かぜのうつろのぼやけた黄いろ
  かれ草とはりがね、 郡役所
  ひるのつめたいうつろのなかに
  あめそゝぎひのきはみだるる。
  (まことこのとき心象のそらの計器は
   十二気圧をしめしたり。)


☆講(はなし)には双(二つ)の群(むれ)がある。そして、亦(また)諸(もろもろ)推しはかる。
 字を審査(正しいかどうかを明らかにすること)が衝(かなめ)である。
 系(一続きの関係をなすもの)の記は自由に記すが、基(物事のもとになるもの/根本)は圧(押さえる)。

『城』1974。

2015-05-26 06:36:34 | カフカ覚書
おまけに、きみとぼくとのあいだの意見の不一致は、ハンスの眼のとまらずにいたわけじゃない。それがハンスの眼にとまらなかったとおもうのなら、きみは、この大人のように用心ぶかい少年をひどく過小評価していることになる。それに、万一すべてのことが彼の眼にとまらなかったとしても、そのことからだれも損害をこうむるわけじゃないとおもうがね」


☆ハンス(国)とわたしたちの矛盾を気づかずにいるわけではない。この用心深い氏族の予言者を過小評価していることになるが、彼自身、隠れた死を信じるべきである。そこから先祖の悲しみが生じているのだと、わたしは思う。

マグリット『永遠の明証』

2015-05-25 07:07:11 | 美術ノート
 等身大であるらしい女性の裸体を各切断し部分的に額に入れ、一個の女性の体をなしている。

 頭部・胸部・腹部・大腿部・脚部・・・ばらばらであるが、鑑賞者の脳の中では一体に接続し認識される。なぜか? 経験上、熟知しているからである。絶対の配列といってもいい。順不同、ランダムはあり得ない。百人が百人肯く答えを提示している。
 これ以外の答えはないと。

 人はパーツをつなげる。各部分が切り離された驚愕よりも、余白を埋める潜在意識の方が強く働くからで、現実空間と絵空事空間(疑似空間)では次元が違うのだという意識を明確に持っている。軽く飛び越えてしまう空間認識の壁。


 経験した≪当たり前≫の知覚は、対象を≪当たり前≫に結び付け、疑うことをしない。単に女の裸体であるよりも正面切って描かれた恥部への対峙に戸惑いを感じてしまう。もちろん情欲をそそるような描き方をしていない。しかし、心のどこかで覆うことの必然すら感じてしまう原初的な戸惑いである。


 腕や手がないことは単に省略されたものとして脳内で整理される。不思議でもなんでもない。「手の力」のない晒された裸体に発言権は剥奪されている。鑑賞者はこの作品を前にして一個の裸体につなげることで納得し作品を後にする。

 残された恥辱・行き場を失った屈辱は顧みられることなく作品に付着したままである。この憤り、置き去りにされた悲しみが静かに微笑むかの女性の顔に過る。


 見る者と見られる者との間に生まれる亀裂・隙間・・・さらに言えば姦淫のイメージは神の怒りに触れたような気さえするのである。
『永遠の明証』という作品からは、表現(言語や表象)への動かし難い信奉性への警鐘を(どうしても)感じてしまう。
 美しい女体も切断され額に入れられると美の印象は薄らぎ、動揺してしまう。(ああ、女体とはこのようなものであったのか)それにしても恥部への恥じらいがないことは、見る側を困惑させる。『永遠の明証』とは善悪を知るものの明証である。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』119。

2015-05-25 06:42:21 | 宮沢賢治
四三   雲の重りきて、
     光の酸をふりそゝぎ、
     電線小鳥 肩まるく、
     ほのかになきて溶けんとす。


☆運(めぐらす)照(遍く光が当たる=平等)の自由な講(はなし)である。
 太陽が伝える閃(きらきら光る)照(遍く光が当たる=平等)は帳(ノート)に兼ねている要(かなめ)である。