お内儀さんの服のことでどんなことを言ったのでしょうかね。これまでに見たこともないほど美しい服だというようなことでも言ったのでしょうか。すくなくとも、宿屋のお内儀さんがあんな服を着て仕事をしているのを見たのは、初めてでしたよ。
☆無力な氏族を除去したとでも言ったのでしょうか。これまで見たこともないほど愉快なことで少なくとも今なお、氏族を除去し、現場不在で被われているのを見たのですから。
白桃やいつもの写真師あらはれる
白桃はハク・トウと読んで、迫、党。
いつもの(何時)はカ・ジと読んで、呵。辞。
写真師はシャ・シン・シと読んで、赦、針、詞。
あらはれる(現)はゲンと読んで、厳。
☆迫(追い詰める)党(仲間)の呵(とがめる)辞(言葉)を赦(ゆるす)。
針のような詞(言葉)は、厳しい。
白桃はハク・トウと読んで、魄、討。
いつもの(何時)はカ・ジと読んで、過、辞。
写真師はシャ・シン・シと読んで、謝、真、思。
あらはれる(現)はゲンと読んで、言。
☆魄(たましい)を討(問いただし)過(あやまち)を辞(やめ)謝る。
真(うそ偽りのない)思いを言(口に出す)。
白桃はハク・トウと読んで、白、頭。
いつもの(何時)はカ・ジと読んで、化、爾。
写真師はシャ・シン・シと読んで、洒、新、姿。
☆白(髪)頭に化(変わった)爾(あなた)、洒(サッパリとして拘らない)新しい姿で現れた。
『自分の方へ向かう犬』
耳を立てた犬は口から上だけを出している、つまり泳いでいる。とすれば、角柱は水である。
しかし、水であるはずの面に球体を切ったような溝がある。何かの作用が働いているに違いないが、犬と自分の間に介在する不明な障害である。
自分の方へ向かう犬は、他者である。自分に向かってくるのは好意か敵対なのか、愛情か攻撃か、あるいは偶然か・・・。自分という存在は、犬を待っているのだ迂してしまう危険はろうか、恐怖を感じて逃げようとしているのか。犬の手前にいるらしいが、その挙動は不明である。感じているが、見えていない存在は憶測の限りではない。
「自分の方へ向かう犬」は全くの具象であるのに、内実は抽象的でその距離すらも測りかねるのである。しかもその間にある円形の溝に至っては何によって引き起こされた現象なのかも分からない。犬がその渦の中に巻き込まれる危険は回避できるのだろうか。
自分という存在もまた、水の中なのだろうか。地表に立っているという確証はない。空気ではなく、水という抵抗の大きさに耐えうる状況だろうか。
仮に溺れている自分を救助するために向かう犬という場合もなくはない。
自分と犬の関係、主従の転換、水と空気の圧の差異、多くの問題を孕んだシンプルな作品、この作品の前では時間とともに動けなくなる自分がいる。
写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館
Kは、きのうは疲れきっていたものですから、と弁明を言った。きのうつまらないことを口走ったということは、おおいにありうることです。いずれにせよ、いまは思いだせません。
☆運命はいたずらだという可能性はよくあります。運命は宙に浮いているのですが、いずれにせよ、何も思い出せないのです。
高い伐口六月の釦みな閉め
高い伐口はコウ・バツ・コウと読んで、高、閥、講。
六月はロク・ガツと読んで、碌、合。
釦みな閉め(釦皆閉)はコウ・カイ・ヘイと読んで、交、階、並。
☆高(偉そうにする)閥(家柄)の講(話)、碌(役に立たない)。
合わせて交(行き来する)階(地位、身分など)の柄(権力話のタネ)がある。
高い伐口はコウ・バツ・コウと読んで、考、抜、講。
六月はロク・ガツと読んで、録、合。
釦みな閉め(釦皆閉)はク・カイ・ヘイと読んで、句、改、閉。
☆考え抜く講(話)を録(書き記し)、合わせて句に改め、閉じている。
高い伐口はコウ・バツ・コウと読んで、稿、抜、恒。
六月はロク・ガツと読んで、録、合。
釦みな閉め(釦皆閉)はコウ・カイ・ヘイと読んで、講、皆、蔽。
☆稿(下書き)から抜(選び出す)恒(つね)、合わせて録(文字に書き記す)講(話)は皆(すべて)蔽(見えないようにしている)。
高い伐口はコウ・バツと読んで、抗、罰。
六月はロク・ガツと読んで、碌、合。
釦みな閉め(釦皆閉)はコウ・カイ・ヘイと読んで、高、誨、柄。
☆抗(あがらうもの)を罰(こらしめる)考えは碌(役に立たない)。
合(その上)、高(偉そうにして)誨(教え諭す)柄(権力)がある。
『Run and Rest』
どういう意味だろう。《時間》だろうか。私的な時間・・・地球の見えない内包された時間、歴史だろうか。
凹である、溝とも通路にも見える。両脇は傾斜のある山の形であるが、上ることは困難なように見える。鑑賞者(自身)はどの位置に立つべきか…重力を考えれば、当然、道のような通路である。方向は示されていないから、行き来自由な空間である。
両脇を壁のような遮蔽がある、すなわち閉塞感であるが、上方は放射状に開いており空へと続いている開放感がある。面は歪みがあるが概ね平面であり規則的に点を打っている、やはり、時間だろうか。
『Run and Rest』、生と死、継続(生活)と安息(永眠)、走ることと休むこと…。
生の連鎖、生きること(存在)の窮屈(拘束)と、無窮の永遠の同時性を垣間見る思いである。
この金属板(無機質)は、人間(有機質)を拒否している。自然の持つ融和性はなく、ただ厳然と人を迎える時間を共有した通路である。
写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館
Kは、このまなざしに釘づけにされて、いつまでも出ていけなかった。お内儀は、そのうえかすかな微笑をもうかべたが、Kが面くらったような顔をしているので、やっとすこし夢からさめたようであった。自分の微笑に相手が浮ていたが答えてくれるのを待っていたが、答えてもらえないのでいまやっと目がさめたという感じだった。
がおどろいたようn
☆この眼差しを、Kもまた、長くとらえていた。彼女もわずかに微笑んだが、Kが驚いたような眼をしているのでやっと目をさましたようだった。自分の微笑に、答えを期待したが目を覚ます(蘇生)することはなかった。
青枝を片手に廻す身のたゝり
青枝はショウ・シと読んで、小、誌。
片手に廻すはカタテ・カイと読んで、片手、悔。
身のたゝり(身祟)はシン・スウと読んで、真、数。
☆小誌(薄くて小ぶりの雑誌)を片手に悔やむ。
真(心の底)の数(はかりごと)を。
青枝はショウ・シと読んで、省、詞。
片手に廻すはヘン・シュ・カイと読んで、変、手、廻。
身のたゝり(身祟)はシン・スウと読んで、新、数。
☆省(かえりみると)、詞(言葉)が変(移り変わる)手(手法)は廻(元に戻る)。
新しい数(はかりごと)である。
青枝はセイ・シと読んで、西、至。
片手に廻すはヘン・シュ・カイと読んで、辺、趣、界。
身のたゝり(身祟)はシン・スウと読んで、真、崇。
☆西(西方浄土)に至る辺(あたり)は趣(おもむき)がある。
界(世界)は真(まこと)に崇(気高く尊い)。
青枝はセイ・シと読んで、生、死。
片手に廻すはヘン・シュ・カイと読んで、変、主、皆。
身のたゝり(身崇)はシン・スウはと読んで、深、数。
☆生死の変(移りかわり)は主に皆(すべて)深い数(めぐり合わせ)である。
さまざまの谷の蝶くる顔の肉
さまざま(様様)はヨウ・ヨウと読んで、要、用。
谷の蝶くる(谷蝶来)はコク・チョウ・ライと読んで、告、調、礼。
顔の肉はガン・ニクと読んで、含、肉。
☆要用(ぜひとも必要なこと)だと、告げる。
調べてくれたら、礼(敬意を払う)。
含(内にふくみ持つもの)の肉(内容)がある。
さまざま(様様)はヨウ・ヨウと読んで、妖、様。
谷の蝶くる(谷蝶来)はコク・チョウ・ライと読んで、克、眺、瀬。
顔の肉はガン・ニクと読んで、玩、肉。
☆妖(あでやかな)様(すがた・かたち)を克(十分に)眺める瀬(とき、場合)、玩(もてあそぶ)肉(内容)がある。
さまざま(様様)はヨウ・ヨウと読んで、耀、洋。
谷の蝶くる(谷蝶来)はコク・チョウ・ライと読んで、酷、弔、礼。
顔の肉はゲン・ニクと読んで、幻、肉。
☆耀(光り輝く)洋(広い海)は酷(容赦なくむごい)。
弔(死者をとむらい)礼(敬意を払う)幻(まぼろし)の肉(内容のふくらみ)がある。
さまざま(様様)はヨウ・ヨウと読んで、陽、庸。
谷の蝶くる(谷蝶来)はコク・チョウ・ライと読んで、酷、超、頼。
顔の肉はガン・ニクと読んで、丸、肉。
☆陽(太陽)は庸(常に)酷(厳しい)が、超(とびぬけて)頼(たのもしい)。
丸い肉(厚みや太さ)である。
くよくよしないで元気に行く、気分だけでも。
運動嫌い、外出もぎりぎり躊躇う。一日中、座っている、床が抜けるほどに…。
そんなわたし、ラジオ体操だけは《行かねばならぬ!》と決行。一歩前へ出る、二歩進む…、何枚目かのカード(80回)終了。
これを喜ばずして、他に何の喜びが、という淋しい日常。花である、ブログに記すべき花一輪をここに掲げたい。