御身愛しリラの押花送られたし
御身愛し、ご自分がいちばん愛しいのは当たり前、ごもっともでございます。リラの押花でもお別れの言葉の代わりに送ってくださいな。二人の置かれた微妙な位置関係。別離(終焉)を前提の恋。
でもね・・・湧き起こる未練との葛藤、消し去ることの難しさ。いっそ、あなたから告げられるのなら、気持ちの整理も付くでしょう。
御身愛しリラの押花送られたし
御身愛し、ご自分がいちばん愛しいのは当たり前、ごもっともでございます。リラの押花でもお別れの言葉の代わりに送ってくださいな。二人の置かれた微妙な位置関係。別離(終焉)を前提の恋。
でもね・・・湧き起こる未練との葛藤、消し去ることの難しさ。いっそ、あなたから告げられるのなら、気持ちの整理も付くでしょう。
『1-2-3 犬から出る水蒸気』
犬から出る水蒸気・・・犬の呼吸? 生きて在ることのエネルギーの放出。存在者の周囲(世界)とのかかわり、関係性。
見えないものを固形化する、しかも、それと知るようなイメージを排除した鋼鉄、きわめてイメージから遠いものに置き換えている。
上へ立ち上る蒸気、それを抑え込む圧。端にはバランスを崩しかねない重し(引力)がある。犬は自身であり、生きとし生きるものの任意の呼称であるが、犬の存在はない。ただ、水蒸気めく泡(球体)の形状を暗示するのみである。
犬から出る水蒸気は単純に上方へ立ち上っていかない。平板な板(圧力/抵抗)がのしかかり、行く手を遮っている。
水蒸気、すなわちエネルギーの放出は生きる証であり、不透明な主張である。
任意の犬、誰でもないが誰かである犬は、確かに生きている。生きて世界との競合を図っている。ごく小さな泡状は世界へ発信しているはず・・・けれど、留まらざるを得ない。世界(平板な板)はそれを制御し、わずかに泡の突起が残存の形跡を見せるのみである。
任意の生き物、仮に犬(人間)として、その周囲(世界)との関係性を問うている。見えない圧(批判・中傷・嘲笑)があり、しかもそれに加担する重し(引力)まである。
水蒸気は何時かは消失する主張(叫び)であり、日常の泡である。
写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館
「なにもご存じないのね。それじゃ、知ったかぶりをなさるのは、おこがましいことですよ。むこうの帳場へ来てごらんなさい。あなたに見せてあげたいものがあるの。それを見たら、そんなずうずうしい口をきくことは、たぶん永久におやめになるでしょうよ」
☆「小舟があります、小舟を自分のものにするべきです。向こう、反対側をごらんなさい。あなたは勇敢にも常に止めるでしょう。」と、言って彼女は先に立って出ていった。
蚊不死の見たくない山ばかりなり
蚊不死のはブン・フ・シと読んで、文、封、詞。
見たくない山はゲン・サンと読んで、現、三。
☆文に封(閉じ込めた)詞(言葉)には、現れる三つがある。
蚊不死のはブン・フ・シと読んで、文、附、詞。
見たくない山はケン・センと読んで、兼、選。
☆文に附(付き従う)詞(言葉)は、兼ねて選んでいる。
蚊不死のはモン・フと読んで、悶、怖。
見たくない山はゲン・サンと読んで、言、惨。
☆悶(もだえ苦しむこと)を怖れ、死を言う惨(傷ましさ)。
蚊不死のはブン・ブ・シと読んで、文武、志。
見たくない山はケン・サンと読んで、兼、賛。
☆文武(学問と武芸)を志し、兼ねることを賛(称える)。
『1-2-2 中に犬・飛び方』
中に犬・・・囲まれている、何に?
飛び方・・・確かに浮いている(かも)。
How to fly、飛び方。
この条件を満たす答えは何だろう、飛ぶとはどういうことだろう。地上から離れる、すなわち、重さに比してとんでもないほどのエネルギーを要する行為である。
犬を自身の謙称として、通常地上において安息を得る生物(自身)が、空中を浮上し、しかも移動を可能とする方法。
中間にあるものを犬だと認めて、上部の鉄板には泡状の膨らみがある。これは下からのエネルギー(力)によるものだと理解でき、この二つには因果関係があるような想定がある。けれど、犬には吊り上げられているような線条もあるが、他方には下降を加速させる重しのような塊もある。
落下せざるを得ない重し(重力)と、引き上げるかの線状はこの作品においては均衡がとれている。
中に犬、存在するものは空気中に在る。この条件下での飛翔は重力との戦いであり、重力を突破するエネルギーの確保である。
『1-2-2 中に犬・飛び方』とは、希望というより現実の残酷な、抵抗の過多ではないか。にもかかわらず、《飛んでみせる》という静かな反骨、噴射のエネルギーへの憧憬、現実突破の鍵、…悟りへの道筋さえ感じてしまう。絶望(決して飛べない)への静謐な眼差しがある。
写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館
だいたいー」と、ここで悪寒のようなものが、彼女の全身を図走ったらしかった。「だいたい、あなたがわたしの衣裳のことなど気になさるのがおかしいじゃありませんか。そうでしょう」
Kが無言のままふたたび行きかけようとすると、お内儀は、「いったい、あなたはどこで衣裳のことなどお知りになったの」と、たずねた。
Kは、わたしはなにも知っちゃいませんよ、というように肩をすくめてみせた。
☆それはそれとして、この際、それはぞっとするような伝説ですね。
わたしの氏族を作り上げるなんて、あるべきではありません。
Kは無言のまま引き返そうとすると、「どこで氏族のことを知ったんですか」と、訊ねたので「小舟のことは知っています」と、肩をすぼめて見せた。
墓へ来て多少は軽い柿となれり
墓へ来てはボ・ライと読んで、簿、頼。
多少はタ・ショウと読んで、汰、章。
軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、系、試、意。
☆簿(ノート)を頼りにし、汰(選び分ける)章。
系(つながり)を試す意(考え)がある。
墓へ来てはボ・ライと読んで、母、頼。
多少はタ・ショウと読んで、太、傷。
軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、恵、私、畏。
☆母は頼もしく太(きわめて大きい)傷(心を痛める)恵(慈しみ)がある。
私は畏(心から敬っている)。
墓へ来てはボ・ライと読んで、墓、礼。
多少はタ・ショウと読んで、詫、唱。
軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、経、施、慰。
☆墓に礼(敬意をはらう)。
詫びて唱える経。
施し、慰めている。
『1-2-1 残り元素』
残り元素? 万物の基本的な構成要素、化学的に分解して得られる最小の要素の《残り》って? まだまだ人工的に作ることが残っている?
与えられたとせよ、ではないが、最初から最後まで有るのが元素ではないのか。
元素の残りなんて言うものがあるのか、考えたことがない。
人間は浮いているのか、非常に安定を欠いた状態葉であり、よく見ると手足が欠けている。つまり、どうにもならない不測の事態である。その背後に砲弾のような重機があり、これもそれらしい塊と化している。
破壊・破滅・・・世界の終わりを象徴したような、否、一歩手前、崩壊寸前の事態である。というか、すでに滅亡の残骸なのだろうか。
精神は失われている。物理的再生に可能性を見いだせない。見える景色は《絶望》だけである。
『残り元素』とは世界の終わりの眺望を覗き見たものかもしれない。始まりがあれば終わりがあるという前提のもと、希望の欠如した予測めく光景である。
写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館
あなたが衣裳のことは門外漢だとおっしゃるのは、ほんとうだわ。しかし、それなら、これはさっきも本気でお願いしたつもりですが、りっぱな服がどうのとか、不似合いなイヴニングとかいうようないいかげんな判断をくだすのはやめてください。
☆氏族を理解できないのはわかります。その場合、まじめな氏族とか、不適当な氏族とかいうようないい加減な判断を下すのはやめてください。
親の列白い茸に立到り
親の列はシン・レツと読んで、心、烈。
白い茸はハク・ジョウと読んで、博、情。
立到りはリツ・トウと読んで、律、当。
☆心(精神)は烈(正しく強く)博(大きく広がっている)。
情(思いやり)を律(物事の基準となる決まり)とするのは当(当たり前)である。
親の列はシン・レツと読んで、身、烈。
白い茸はハク・ジョウと読んで、迫、常。
立到りはリツ・トウと読んで、慄、闘。
☆身(からだ)の烈(はげしい)迫(苦しみ)、常に慄(恐れ戦き)闘っている。
親の列はシン・レツと読んで、浸、烈。
白い茸はハク・ジョウと読んで、駁、状。
立到りはリュウ・トウと読んで、流、蕩。
☆浸(水がしみ込むこと)を烈(はげしく)駁(非難する)。
状(ありさま)は流れで蕩(揺れ動く)。
☆親が並んで逝く、魂は静かな流灯(盂蘭盆会の夜、点火して水に浮かべてながす灯篭)である。