続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『1-4-4』

2021-05-18 06:30:19 | 美術ノート

   Ⅰ-4-4〔無題〕Untitled

 名づけようのない感覚、空気感、しかし作家はそれを体感している。
 作品は《青》であり、海あるいは空をイメージさせる。いくつかの溝は総て人工的、人為の形であり、ありのままの自然ではない。
 端には差し込みのスイッチらしき、接続がある、どこへつなげば、どう変化するのだろう。表面は平らであり安定しているように見えるが、半分は下方が浮いている。

 人為的な世界、高さはなく掘削された溝があるばかりであるが、これ以上の深さは望めない危うさがある。
 安定に見えるが不安定である、これらは何だろう。人間が築いている世界はより高くを志向しているが、実はより低く行き着く先の未定な暗渠かもしれない。
 端にあるスイッチは不気味である。建設的な明るい未来を破壊するような、崩壊を予期させるような大きな脅威を孕んでいる。使用不可、決して入れてはいけないスイッチを作ってしまった世界の脅威。
 海の青さ、空の青さは不変であるが、人類の創意がそれを阻む日を抱えている。

 人類はその叡智をもって世界(青の平穏)に墓穴を掘っているのではないか、という静かなる疑惑である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3653。

2021-05-18 06:20:56 | カフカ覚書

 お内儀の帳場は、酒場のむかいにあった。玄関の間をよこぎっていきさえすればよかった。お内儀は、すでに灯りをともした帳場のなかに立って、じれったそうにKのほうを見ていた。ところが、そこへまたひとつ妨害が起った。


☆私的な反撃は酒場(死の入り口付近)と向かい合っていた。女主人はすでに反撃を精査し、いらいらしながらKの方を見ていた。しかしそこでまた邪魔が入った。


『飯島晴子』(私的解釈)山川の。

2021-05-17 07:06:42 | 飯島晴子

   山川の口よせに乗るをとこへし

 山川はサン・センと読んで、算、詮。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、講、企、剰。
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・カと読んで、談、浪、果。
☆算(見当をつけて)詮(明らかにする)。
 講(はなし)の企(くわだて)は剰(多すぎて)、談(話)に浪(無駄な)果(結末)がある。

 山川はサン・センと読んで、燦、船。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、航、帰、状。
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・カと読んで、弾、浪、佳。
☆燦(きらきら光る)船で航(水面を渡り)変える状(ありさま)は、弾(はじける)浪(なみ)が佳(美しい)。

 山川はサン・センと読んで、散、千。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、考、記、常、
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・イと読んで、団、労、異。
☆散(バラバラにして)千(たくさん)の考えを記す。
 常に団(丸く収める)労(ほねおり)は異(普通でないありさま)がある。


若林奮『1-4-2』

2021-05-17 06:40:04 | 美術ノート

   『1-4-2 後からの試作Ⅰ』

 角柱に丸い穴がそれぞれ定位置に開いている。一本の角柱は何を暗示しているのかは不明であるが正確に積まれて線状のものでくくられ固定されている。
 相応の重量があるが、浮いているように見える。つまりこの物には重さ、質量がないということであり、見えているものは仮想である。

 見えるものに置換している以上、主張がある。
 消失した過去の時空・・・消失はなく過ぎ去った時間・空間・存在者との関係性の表明。
 文字による記録ではないから意味の具体性は欠如しており、物的証拠からも外れている。作家の見識の総合的な答えは独自の感性によるもので万人が一致し肯定するものではないかもしれない。

 しかし、触覚、視覚をもって存在する物質に置き換える試作は、作家の究極の見解であるに違いない。
 まず言えることは、これら過去の時空の総合はある種の質量を持っているが、その質量(重量)は宙に浮き、移動が可能だということである。つまり《有るが無い》という仮想領域に位置するものである。
 目の前の抵抗、否、後ろから押してくるある種の威圧、決して消えることのない史実の重さ、抵抗の感触である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3652。

2021-05-17 06:03:17 | カフカ覚書

ペーピは、Kから勘定をもらうのだという口実のもとに彼のそばへとんできた。了解は、すぐについた。Kが中庭の勝手を知っていたので、話はきわめて簡単だった。中庭には、脇道へ出る門口があるが、この門口の横に小さなくぐり戸があった。ペーピは、いまから一時間ほどしたらこのくぐり戸の内側で待っていて、三度戸をたたいたらあけてあげるということになった。


☆ペーピは自ら目印をもらうのだという口実の下に、素早く説明をした。非常に簡単でハロー(光臨/死の入り口)を案内する道があり、傍らには小舟の小さい入口があった。ペーピが、先祖との階層にとどまっていると、遮るものがないような劇的緊張が走った。


『飯島晴子』(私的解釈)山中に。

2021-05-16 07:44:42 | 飯島晴子

   山中に青い虫とぶ仕置かな

 山中はサン・チュウと読んで、三、注意。
 青い虫とぶ(青虫飛)はショウ・チュウ・ヒと読んで、章、註、秘。
 仕置はシ・チと読んで、詞、置。
☆三つを注(書き記す)。
 章の註(意味を書き記すこと)は秘(人に見せないように隠して)詞(言葉)を置(据える)。

 山中はセン・チュウと読んで、千、注。
 青い虫とぶ(青虫飛)はセイ・チュウ・ヒと読んで、整、抽、批。
 仕置はシ・チと読んで、詞、質。
☆千(たくさん)注(書き記し)整える。
 抽(抜き出して)批(品定めをする)詞(言葉)の質(内容)がある。

 山中はサン・チュウと読んで、惨、衷。
 青い虫とぶ(青虫飛)はショウ・チュウ・ヒと読んで、傷、知友、疲。
 仕置はシ・チと読んで、姿、知。
☆惨(いたましい)衷(心の中)の傷(悲しみ)。
 知友の疲れている姿から知(わかる)。

 山中はセン・チュウと読んで、尖、衷。
 青い虫飛ぶ(青虫飛)はセイ・チュウ・ヒと読んで、凄、誅、否。
 仕置はシ・チと読んで、氏、痴。
☆尖(とがった)衷(心の中)は凄(物寂しい)。
 誅(罪を責め咎めること)に否(同意しない)。
 氏(彼)は痴(愚か)である。
 


鈴木しづ子(私的解釈)星凍てたり。

2021-05-16 06:49:56 | 鈴木しづ子

      星凍てたり東京に棲む理由もなし

 星、夜空の星ではなく自分の住む地球である。地球(世界)は凍り付いている。冷たく厳しい世の中、この退廃に東京(わたし)の住む場所はない。世界の中心であると自負する東京、即ち、わたしはわたしにこだわる必要を無くしている。

 星、それは世界であなたしか見えない彼のこと。あなたの心は冷たく凍り付いてしまった。わたしの中では死んだも同じ・・・星を愛したわたし、東京などと自負する強い根拠、姿勢はもろくも崩れてしまった。心だったろうか、情慾の赴くままの関係の終局。
 わたしは東京と自負したわたしを離れよう。星(あなた)が動きを止め凍り付いてしまったのだから、棲む理由がない。


鈴木しづ子(私的解釈)夏みかん。

2021-05-15 06:30:24 | 鈴木しづ子

   夏みかん酸っぱしいまさら純血など

 春(青春)の長閑で世界を知らない吞気、穏やか、平和・・・。それに比して夏(成熟)の酷暑は夏みかんを希求する。甘い、塩辛い、辛い、苦いなどという感じではなく、夏みかんは、正しく酸っぱい。猛暑への守りと攻撃にしびれる緊張を一瞬にして解き放つものである。

 孤島の日本の安穏、そんな時代はすでに終わっている。他国との応戦は虚しい。己を知らない日本、日本は地球の一隅にすぎない。

 いまさらの純血、守り通すなんぞ笑止!

 純血という言葉が純潔(異性との性的経験のないこと/心にけがれなく清らかなこと)をイメージさせ、酸っぱい感覚が子を孕む想像を呼ぶことで、この句は二重に立ち上がっている。


『飯島晴子』(私的解釈)蜘蛛太る。

2021-05-15 06:11:13 | 飯島晴子

   蜘蛛太る盆地の人の静脈見え

 蜘蛛太るはチ・シュ・タイと読んで、質、趣、他意。
 盆地の人のはボン・チ・ニンと読んで、凡、恥、忍。
 静脈見えはセイ・ミャク・ゲンと読んで、整、三訳、現。
☆質(内容)の趣(狙い)は他意にある。
 恥(はずかしい内容)を忍ばせている。
 整えると、三訳が現れる。

 蜘蛛太るはチ・チュウ・タと読んで、地、虫、多。
 盆地の人のはボン・チ・ジンと読んで、凡、置、尽。
 静脈見えはジョウ・ミャク・ゲンと読んで、浄、脈、幻。
☆地の虫は多い。
 凡(すべて)置(始末し)尽くして浄(きれいにする)脈(みち)は幻(まぼろし)である。

 蜘蛛太るはチ・チュウ・タイと読んで、痴、衷、態。
 盆地の人のはボン・チ・ニンと読んで、凡、恥、認。
 静脈見えはジョウ・ミャク・ケンと読んで、常、脈、兼。
☆痴(愚かな)衷(心の中の)態(ありさま)は凡(すべて)恥であると認める。
 常に脈(筋道)は兼(二つ以上のものを併せ持っている)。


『飯島晴子』(私的解釈)高く低く。

2021-05-14 07:10:36 | 飯島晴子

    高く低く茄子親身に顕はるゝ

 高く低くはコウ・テイと読んで、構、程。
 茄子はカ・シと読んで、苛、至。
 親身に顕はるゝはシン・シン・ケンと読んで、芯、進、件
☆構(組み立てる)程(みちのり)は苛(厳しい)。
 芯(中央/本題)に進む件(ことがら)がある。

 高く低くはコウ・テイと読んで、高、弟。
 茄子はカ・シと読んで、嘉、師。
 親身に顕はるゝはシン・シン・ケンと読んで、親、請、遣。
☆高弟は嘉(すぐれている)。
 師が親(みずから)請(たのみ)遣(つかわせている)。

 高く低くはコウ・テイと読んで、講、綴。
 茄子はカ・シと読んで、化、詞。
 親身に顕はるゝはシン・シン・ケンと読んで、新、真、兼。
☆講(話)を綴り、化(形、性質を変えて別のものになる)詞(言葉)は、新しい真(真理)を兼ねている。

 高く低くはコウ・テイ はと読んで、更、訂。 
 茄子はカ・シと読んで、可、私。
 親身に顕はるゝはシン・シン・ケンと読んで、信、芯、見。
☆更訂(出版物などの内容を改正すること)を可(よいと認める)。
 私信(内密の通信)の芯(物の中心)が見えてくる。