中村紘子リサイタル風景
江嵜企画代表・Ken
ピアニスト中村紘子さんが兵庫県三田市でリサイタルを開く。なんとそのお世話役を引き受けることになったと高校の後輩の陶芸家の田中和人さんから聞いたとき、彼の仕事場の暖炉に薪が焚かれていたからかれこれ半年近い前になる。
会場の三田市総合文化センター(079-559-8100)へはJR神戸線尼崎で乗り換え例の脱線転覆事故を起こした福知山線に乗り、三田駅下車、家族同伴と言うこともありタクシーを奮発して開演30分前に会場に着いた。まばらだった席が見る見る埋まり開演前にはほぼ満席になった。めでたし、めでたしである。
中村弘子さんのピアノを生で聴くのははじめてである。しかも舞台かぶりつきで堪能した。演奏のあと拍手がとまらない。花束を受けたあとなんとアンコールに3曲ひいてくださった。浅学の身の悲しさ曲の題名が出てこない。
田中和人さんに帰宅後メールを入れた。はじめはショパンの12の練習曲Op.10-No.3<別れの曲>、次ぎがブラームスのハンガリー舞曲No.1,最後が馴染みの曲、ショパンの幻想即興曲だったと教えてくれた。
中村紘子さんがアンコール曲を弾き終わって戻ってこられる。田中さんは、舞台袖に待機していて、「もうひとついきましょう」と盛り上げたと、文字通り舞台裏話を聞かせてくれた。
今回のリサイタルはトーク&コンサートとなっていた。演奏の合間に軽くトークを入れるのかと思った。それが大間違いだとすぐにわかった。
来年50周年を迎える。1944年生まれ、3歳で井口愛子氏に師事、10歳からレオ二ード・コハンスキー氏に学び、その後数々の栄誉ある賞を受賞され、世界をまたにかけてパワフルに活躍中の彼女の人生そのものに裏打ちされた中身の濃い内容だった。
それでいて決して形式ばらない。軽妙洒脱、時に警句を飛ばし、ウイットに富み、膝を乗り出して思わずひきこまれてしまった。
語りの中で脳の話しが出た。演奏し喋る。脳の働く場所が違う。弾き終わってなにを喋ろうかとくらくらする。一瞬話にもどれない。語りはむつかしいといいながら、それはご謙遜で、よどみなく流れる見事な語りを披露してくださった。
演奏と料理は同じだという料理大学の辻さんの話を紹介された。フランス料理をご自身で挑戦した。材料に子牛の骨5キロを買い担いで帰った。水を入れないで骨に汗をかかせるように炊く話も出た。音楽も材料から選ばなければならない。手間がかかる。繰り返し訓練する。料理もそうだと話された。
子供の教育の話も出た。まず才能。そして環境、次に努力。それに幸運にめぐまれないと一人前になれないと話された。浜松ピアノコンクールの審査はじめ海外での数々の国際コンクールの審査を通じての体験を踏まえた話は迫力があった。
能力があり、指導者含め環境に恵まれると子供の能力は伸びる。それも右肩上がりに伸びるのではない。垂直に伸びるのだという話が特に印象に残った。ショパン7歳のときの曲ポロネーズのあと、メンデルススゾーン15歳のときの曲がつづき、ショパンのパラネードは21歳のときの曲だと解説された。
ピアノの歴史の話も面白かった。ピアノは一番新しい楽器で、たかだか300年しかたっていない。ピアノは工業の結晶ですという表現が新鮮だった。権力者のサロンから広い会場での演奏会が開かれるようになった。ピアノの機能に赤字を出さぬことが要求された。ピアノの改良がどんどん進んだ。ピアノは資本主義の形を表していると話された。
20分の休憩のあとメインステージでのムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」で演奏会は一気に爆発した。いつまでもこころに残るすばらしい演奏会だった。ご縁を戴いた田中和人さんにひたすら感謝である。(了)