ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

ドル堅調1ユーロ1.47ドル、原油115ドル、NYダウ82ドル高(学校で教えてくれない経済学)

2008-08-15 08:58:41 | 経済学
 8月15日は敗戦記念日である。13年前の震災のとき、阪神青木駅近くのさる老人が今朝の地震は本当に怖かった。しかし、空襲のときと比べたら楽だ。あの時は頭の上から焼夷弾と爆弾が降ってきた。特に焼夷弾が怖かった。町全体が一瞬の内に火の海になったと話した。
 神戸という町はわずか70年の間に大水害、米軍の空爆、阪神淡路大震災と3度の大きな災難を経験した。こういう事実を出来るだけ多くの子供達に語り継がなければならないと思っている。大人が魂をこめて語れば子供は目を輝かせて大人の話を聞いてくれる。
 語り継がなければならない相手の子供の数が日本でどんどん減っている。今朝のCNNテレビを見ていたら、あるコメンテーターは、日本は世界経済のなかで力を失っていくだろうと話していた。神戸でもセミの声は年々うるさくなる一方だが、子供の声が街から消えた。
 日本という国はほぼ100%の資源を海外からの輸入に頼っている。小麦やトウモロコシや大豆といった身近な農産物の国際相場がわずか2~3年の間に2倍、3倍に値上がりした。2割、3割の値上りでも苦しい。2倍、3倍の値上りだという認識が日本人に欠落している。
 食べ盛りだった7歳のころのひもじい思いは忘れることが出来ない。姫路の奥に縁故疎開したが、母が嫁入りのときにもって来た着物はコメに全て消えたと母からよく聞かされた。仏作って魂入れずということわざがあるが、食糧に事欠いた経験のない政治家が今の日本を動かしているから、日本では特に農政が魂抜きになってしまったのかもしれない。
 40年近い前、日本はオイルショックに見舞われた。トイレットペーパーを求めて鬼のような顔をして多くの主婦はスーパーに行列を作った。値段が上がるのも怖いが物が手に入らないことが人をいかに恐怖に追い込むか。その見本のような光景だった。
 1970年、石油の値段はバレル2ドルだった。それが8ドルになったときが第一次オイルショックである。ただ、供給が潤沢だったことがわかり時間の経過と共に正常に戻った。当時為替は1ドル=308円だった。原油はバレル115ドルへ上がったがドル110円である。
 なぜ原油相場が値上がりしたのか。ドルの値打ちが下がったからである。自国通貨の値打ちが下がって喜ぶ国民はおそらく日本人だけだろう。戦争に負けてこのかた60年近く輸出で稼いで生計を立てていたため円が安くなることが国益だと日本人は勘違いしている。
 NY外国為替市場で、8月14日、ドルが対ユーロで買われ、1ユーロ=1.4777ドルで取引された。ユーロの対ドルでの値下がりの影響を受けて、1ドル=109.50円で取引された。ドルはポンドに対しても買われ1ポンド=1.8666ドルで取引された。
 NY株式市場は、ドル上昇で原油が反落、原油反落を歓迎して、前日比82ドル高い、11,615ドルで取引を終了した。自国通貨の値打ちが少しでも上がると、外国からその分安く物を買うことが出来る。歯止めなく下げ続けていたドルに落ち着きが出てきた。大きな変化である。
 NY原油先物市場で、原油(WTI)はバレル99セント値下がりし、115.01ドルで取引された。物の値段は基本的には需給で決まる。特に供給不安が相場を上げるインパクトとして働く。加えてこのところの原油相場の値下がりが、安堵感を生み、ドル堅調を支えている。
 石油なしには生きられないという恐怖感が勝てるはずのない米国相手に戦争を始めさせた。8月15日に当り、お孫さんがおられる方は戦争とは何かを語り合って欲しい。(了)

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