秋山豊寛氏:読売こころ塾
江嵜企画代表・Ken
日本人初の宇宙飛行士でジャーナリスト秋山豊寛氏が出演する、第28回「読売こころ塾」が大槻能楽堂(大阪市中央区上町)で開かれ、楽しみにして出かけた。
最後に「人はなんのために生きるのですか」といった質問が会場から飛び出すなど、宗教学者、山折哲雄さんや秋山氏と同じくジャーナリストである司会の音田昌子さんとの呼吸もぴったりで、午後2時から4時過ぎまでの2時間強があっという間に過ぎた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
司会者が「宇宙の上からご覧になった地球の話はあとでじっくり伺いますが、能楽堂の舞台からのご感想はいかがですか」と水を向けられた秋山さんは「ご婦人がもっと多いと思った。意外に男性が多いですね。自分は前期高齢者だが、自分より先輩の方が多いようにお見受けする」と答えて会場はどっと沸いた。すかさず山折さんが「わたしは後期高齢者です」と話を受けた。
一般的に日本の男性はわざわざ出かけていって講演を聞いたり、美術展へ足を運ぶひとは、「前期」「後期」問わず、極めて少ない。5人が質問したがロシア語の通訳のヨネハラマリさんと秋山さんの出会いについて一番に手を上げて聞いたご婦人以外は男性が質問した。
ソ連の宇宙船ソユーズ、宇宙ステーションミールにまず選ばれたことが神さんごとである。21人残ったあと7人に絞られた。「あなたの胃に潰瘍のあとがある」と一端落とされた。そのとき通訳のヨネハラまりさんは、「秋山は性格は曲がっているが、仕事はしっかりするおとこだ」と助言してくれたお陰で「復活」し、最終的に日本人初の宇宙飛行士という金的を射止めたという話が面白かった。
特に交渉ごとは全て通訳次第である。このあたりのことが日本ではなかなか評価されない。極論すれば外国人は自分の国の言葉のレベルでのみ理解する。通訳次第で天国と地獄ほどの差が出ることを日本人はもっと認識すべきであろう。
9日間の放送を終え、無事帰還したとき秋山さんは48歳だった。東京放送TBSを53歳で辞めた。管理職の仕事が待っていた。システムの中で役割をはたすことはうんざりだった。別の人生があるんじゃないかと思い、農業を選んだ。
なぜ「農」を選んだのか。彼は昭和17年(1942)生まれである。母親は自分の嫁入りに持ってきた着ものから身の回りの一切がっさいを米に代えてくれた。それでも腹が減った。トラウマになっている。食い物のそばにいたい。
植物が育つということはどういうことか。百姓の歴史はどうだったのか。現場に入ったらどうか。そうだ、農のあるところで生きようと。全国を土地探しで行脚がはじまった。福島県白河で5反450万の土地に出会った。単価が高くかさばらないシイタケを選んだ。今、黒米を始めた。1俵12万円で売れる。無農薬だから手間暇かかるが、時間はたっぷりある。
「TBSやめる」とかみさんに言ったら「給料どうなるの?}ときた。特派員の時も一人。向こうもいつ死んでもいいと思っている。「がんばってね」とだけ言った。いつも眺めているとホルモンも反応しないと二ヤリと笑った。山から娑婆に時々出てくる。昨日も二見が浦でさくらの木を植える会に出て来たと話していた。
「一人で暮らしていて寂しく感じませんか。幸せを感じますか?」と山折さんが「代表質問」をした。
「話さなくても平気です。どっちがまっとうなのかはわかりません。心が弾むんです。今日一日、良かったと。薬使いませんからね、虫が一杯回りにいるんですよ。自分は稲にたかっている虫の一種なんだなーと思うんです。匂いに敏感になります。春には春の香りがある。ボッキはしませんがね、文句を言わずに、いい女が待ってくれている感じです」と話はよどみなく流れた。
「老いを感じませんか」と山折さんが聞いた。「目の中に蚊が入ってくるが、このごろ反応出来ない」と答えた。最近、7時間たつとション便で目が覚めると秋山さんが言うと、山折さんは即座に、「わたしは4時間ですよ。2時間もたんときもありますよ。秋山さんは若い。そうでないと宇宙飛行士に合格しない。わかります、分かります。」とション便談義に会場も大笑いとなった。
退社の理由について質問が出た。「宇宙船打ち上げ前に2週間あります。毎日ジョギングをしました。マイナス30度ですからはく息が凍ります。子犬がよく出て来ました。ある日のことです。足元に血がついている。そこに犬の首が転がっている。伴走のトレーナーに聞いたら、現地の兵隊が食ったんですよと言った。あんなにかわいいやつがとその時思いましたよ。」
「子犬は死んだ。今生きているおれはなんだろう。自分はどういう存在なのか。やり残したことがある。方々に置いてきた。我慢してきた。だからどうなんだ。犬の首を見て、自分も今日にも死ぬ存在なんだと感じたんです。」
「飛行が終わって娑婆に戻った。屈服するのが嫌だった。いつ死んでも納得出来る場をみつけたらいい。そこで整理がついた」と秋山さんは話された。
「人は何のために生きるのですか。」と会場から質問が出た。秋山さんは「小心者の自分は、仕事がらストレスの塊でした。いまもたばこはやめられません。生きていることは楽しいな。ああいいなと思います。あれは何の鳥かなと。ふぅと気持ちが晴れます。人生って、そういうことの積み重ねだと思うんですよ。みなさん、長生きしましよう。」と秋山さんは話を結ばれた。予定時間の4時をいつのまにかオーバーしていた。名残を惜しむ拍手が続いた。(了)