ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

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三井家旧跡:松阪市(スケッチ&コメント)人

2009-10-11 08:23:00 | スケッチ


三井家旧跡:松阪市

江嵜企画代表・Ken



 朝8時20分、近鉄難波駅に集合,蒲生氏郷(がもううじさと)ゆかりの松阪を目指した。台風一過、晴天に恵まれ、ベルギー旅行のリーダーを務めてくれたSさんはじめ,気心知れた6人パーティーの歴史探訪の楽しい旅となった。

 松阪といえば牛肉の松阪と答える人が多い。ところが、松阪は、蒲生氏郷が築いた松阪城跡、あの本居宣長や三井本家の三井高利生誕の地でもあり、歴史のロマン豊かな、知る人ぞ知る町である。

 Sさんの解説によれば,蒲生一族は、近江源氏にルーツを持つ。蒲生氏郷は楽市楽座を整備した人としても知られている。近江日野から商人を呼び寄せ、松阪を一大商業都市として育てた。

 蒲生氏郷の父、賢秀は織田氏に臣従した。このとき氏郷は人質として信長のもとに送られた。織田信長は氏郷の才能を見抜き、娘、冬姫と結婚させた。氏郷は40歳で生涯を閉じるが、冬姫は81歳の長寿を全うしている。

 蒲生一族と姻戚関係にあったのが加賀前田家である。前田家から忠臣蔵の浅野匠頭が出ている。蒲生一族は、鶴の家紋を多用した。日本航空JALのマークの構想は蒲生の鶴から出たといわれているとSさんは話してくれた。

 三井高利は松阪で呉服商の越後屋、現在の三越を創業している。東京日本橋には三井本店と隣り合わせに三越本店が並んでいるのは偶然ではないであろう。高島屋の創業の飯田新七、大阪商船の創立者の広瀬宰平、王子製紙の設立者の小野権兵衛も蒲生一族である。

 松阪は温暖、湿気が多く、水が豊富で塩分が少ない。キリシタンであった蒲生氏郷は、宣教師からそのことを学んだ。松阪を天下の木綿産地に仕上げたことでも知られている。世界初の複式簿記を考案した中井源左衛門も蒲生一族である。

 江戸屈指の紙商の小津屋清左衛門の旧本宅に入ると大勢の観光客が訪れていた。奥の間では小学生がお花とお茶の手ほどきを楽しそうに受けていた。

 氏郷は23歳の時、手勢わずか15名で松阪にやって来た。家臣を大切にした。教育には特に力を入れた。数学を奨励したことは特筆される。その伝統が今に至るまで、松阪の町に受け継がれているのであろう。

 歴史民俗資料館を訪れた。館内には、「伊勢白粉(おしろい)」、「松阪木綿」関係資料はじめ道具類7000点が収納されているとパンフレットにあった。

 松阪城跡に登り松阪市内を全望した。小説「檸檬」で有名な梶井基次郎は晩年、松阪で過ごした。彼の作品「城のある町にて」の一節が彫られた記念碑が月見櫓跡近くに建てられていた。

 話は尽きない。松阪はただ牛肉の町ではない。今年3月に阪神なんば線が開通した。特急に鶴橋で乗り換えれば、そこから松阪まで1時間半である。一人でも多くの人が松阪を訪れて欲しい。

 道すがら、三井家旧蹟の前で盛んにシャッターを切る仲間の姿を入れてスケッチした。(了)


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