没後35年宮本三郎展
江嵜企画代表・Ken
没後35年宮本三郎展が神戸市立小磯記念美術館(078-857-5880)で10月24日~来年1月11日まで開かれている。招待券を近くの喫茶店仲間のご婦人からいただいたこともあり、善は急げと、家族と出かけた。
行ってみて驚いたことは、訪問客が切れない。ご婦人客が多いのは平日ということでもあり納得だが、比較的お年をめしたご夫婦づれとおぼしきカップルが特に目だったことである。お目当ての絵である「山下、パーシバル両司令官会見図」を前にして会場の様子をスケッチした。
同時開催の[小磯良平作品選IV]コーナーにご婚約直後の美智子妃殿下の素顔のスケッチ画(1958年)が展示されており人気を呼んでいた。小磯画伯は美智子さんの特徴がよく出ているので、自分は正面から描きたかった。ところが、母上が横から描いて下さいと希望されたので止むなくそうしたというエピソードも紹介されていた。
宮本三郎(1905-74)の、戦前・戦中・戦後の代表作を130点集めた展覧会を、没後35年記念ということもあるが、地元中の地元の小磯美術館ではからずも鑑賞出来たことは誠にラッキーだった。
小磯良平記念美術館での宮本三郎展の接点は、1940(昭和15年)に軍部の要請により、小磯良平らとともに二度も戦地へ赴いたということと大いに関係しているのであろう。
①1930年代前半の渡仏期、②1940年以降の従軍と記録画作成の時代、③戦後、田村孝之介らと現二科会を結成した時期の3期に分けて展示されていた。一期では裸婦像が比較的多いが、着物姿の奥様をモデルに、直前になくなった姉上の形見のショールをバックに描いた39年の作品「大和撫子」は、稟として余りあり、他を寄せ付けぬ、鬼気迫るものがあった。
二期は戦争画が多くを占めている。山下奉文中将が英軍、マレー軍総司令官のE.A.パーシバルに「イエスかノーか」と無条件降伏を迫る場面を描いた絵の前には、スケッチした短時間の間も、ひっきりなしに人が集まってきていた。
宮本三郎は三度目の戦地赴任を病気と偽って逃れる。そして家族と生まれ故郷、小松に帰る。母校、小松中学出身の神風特攻隊員、「葉桜隊員」という名の、遺族に頼まれて描いた肖像画は、若き兵士の済んだ目、慈愛に満ちた表情が見事で、強く印象に残った。
小磯記念美術館は、JR神戸線、住吉駅で六甲ライナーに乗り換え、アイランド北口駅下車、目の前に見える。お時間の許す方は、是非、この機会に訪れて欲しいと思う次第である。(了)