駒形どぜう六代目、渡辺孝之氏大いに語る
江嵜企画代表・Ken
神戸酒心館,第103回「酒蔵文化道場」が、9月2日(土)午後4時から、「駒形どぜうと江戸文化」と題して、「語り手」として、駒形どぜう 六代目、渡辺孝之氏の話を聞く機会があり、楽しみにして出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
話は屋号の由来からはじまった。店を始めた浅草寺の近くの駒形をとった。なぜ「どぜう」なのか。「駒形どぜう」は創業1801年である。文化3年(1806)江戸の大火に遭った。看板の文字が「駒形どじゃう」だった。看板書きに聞いたら「四文字は縁起が悪い。」ということで三文字の「どぜう」になった。
以前テレビで放送された番組をもとにつくられた12分物の映像が会場正面に写された。毎日朝4時からの大掃除から一日が始まる。炭火が飛ぶ。火の管理には特に神経を使う。二百余年の間に江戸の大火にはじまり明治、大正、昭和と大震災、戦災など店は5度の火災に遭った。併せて備長炭が駒形どぜうの命だから特に気を使う。
印象的なシーンがひとつあった。夜9時閉店後、座布団の表裏を掃除したあと座布団を数枚重ねて整理する。座布団の一番上にビールの王冠を丁寧に置いてゆく。「火事を出さないように毎日心掛けるおまじないのようなものです。火事のあと、なにもかも残っていない焼け跡に王冠が転がっていたからです」と六代目が説明した。六代目が9時閉店後店内を見て回って店の一日が終わる。
「駒形どぜう」には先代から伝わる3つの家訓がある。第一。「どぜうは丸しか扱ってはならぬ」第二。「暖簾は外に出すべからず」第三。「武道すべからず」第一はまるごと食べることが基本と教えた。第二はどぜう以外他に手だししてならぬと教えた。第三は三代目が武道のたしなみがあり、狼藉を働いた浪人と立ち回りして店を追い出した。藩のお咎めを受けた。先の二つは時代の流れで改めた。最後に一つの「武道のたしなみ」は今も守っている。
六代目が取り組んできた仕事に台湾からどじょうをいれたことだ。農薬の影響で日本にどじょうがいなくなった。どじょう不足時代の到来です。台湾の業者は商売の単位が2トンという。当方は120キロで十分だ。最初は扱い量に差がありすぎて折り合わなかった。ドジョウを空輸することからはじめ、苦労したが今は安定した取引が続いている。
国産の大分の宇佐での養殖と台湾と併用している。台湾品は輸入だからどうしても為替レートの上下で値段が変動する。駒形どぜうは「うまく、安く、はやく」をモットーに頑張っているから値段が上がると困る。台湾ではあまりどじょうはあまり好んで食べない。「台湾品に人気が出ないように願っている」と渡邊さんはニヤリと笑った。
日本では隆盛を極めた浅草が衰退した。しかし最近は盛り返してきている。東京スカイツリーのお陰だ。観光客が増えた結果だ。浅草と渋谷にも店を出している。柳川鍋、どぜうかば焼き、どぜう汁が人気である。
どじょう不足はクリアしたが従業員不足と教育が新たな課題である。高卒が多いがネットなどを通じての人集めで、ついていくのが大変な世の中になった。どぜう汁いっぱいの値段が昭和22年30円だった。70年経った今一杯350円で頑張っている。江戸時代の名残を随所に残しながら「安く、うまく、はやく」を守っている。
文化を大切したい。2月に一度の文化道場を浅草の本店地下のホールで開催している。この11月に200回目を迎える。連日の盛況で抽選になった。文化はお金にならないが、日本に一つぐらい伝統文化としてドジョウ文化を残したいと渡辺さん。
話の中で、渡辺さんは神戸酒心館の安福会長の方を向いて「福寿さんはノーベル賞受賞式でお酒を長年ふるまってこられた歴史がある。今は品不足で困っておられるそうだ。ドジョウには日本酒が一番合います。」と話した。
神戸酒心館「酒蔵文化道場」は103回目を迎えた。駒形どぜう六代目 渡辺孝之さんが師匠です、と安福会長から冒頭挨拶があった。お二人のエールの交換を微笑ましく拝見出来て幸いだった。(了)