生死一如
江嵜企画代表・Ken
4日は亡父の月命日でいつも阪神御影駅そばの田中花店で花を用意する。父は生前、阪神淡路大震災で家は全壊、南海本線住之江駅近くに避難していた。平成13年9月4日亡くなって早いもので18年近くなる。
命日のその日の朝に阪神御影駅そばの田中花店で花を用意する。買った花を適当に花瓶にアレンジして供える。そして、11時に震災前まで住んでいた阪神青木駅近くの西林寺からのご住職を待つ。
この日は副住職の藤川淳二さんだった。仏説阿弥陀経をご唱和させていただいたあと都合が許せば、30分ないし40分住職からお話を伺うことが習いとなった。
「目の方はその後いかがですか」と問われ「日にち薬ですなあ。1月21日の手術のあと明度が上がりお陰様で、視力もほぼ手術前近くにもどりつつあります」と話した。
「日にち薬」と言うが、関西以外ではあまり聞かない言葉だそうだ。関西では商売などで「どないでっか」と声をかけると「ぼちぼちでんなあ」と答えるがそれに近いかもしれない。
特にメスを入れると大なり小なり傷口が残る。注射一本で即全てが解消されるはずはない。特に骨が折れたときなどは、ある程度時間を要する。そんな時に「日にち薬」という言葉はぴったりかもしれない。
副住職と話しているとお仕事柄といえば失礼だが、最近突然亡くなる方が多いなどと、聞くと身につまされる。
「仏説阿弥陀経に「ごとく(如)」という文字が多いように思いますが」と、何となく水を向けたら「生死一如」ということばがありますとの答えが副住職から跳ね返ってきた。
「えっ?」と聞き直したら「しょうじいちにょ」と読みます。「生きることと死ぬことは表裏一体と言う意味です。」と教えていただいた。
「徒然草に死について書かれた箇所が10ほどあるそうです。自分はまだ徒然草を全部読んだことはないが「人の死は前から来ない。後ろからぽんと来る。」と書いてあります」と解説いただいた。
徒然草を後で調べたら第155段に「四季の移り変わりは順序がありやってくるが、人の死は突然やってくる」と出ていた。
「先日亡くなった樹木希林さんも同じ話を良くされます。寂聴さんも「死は前から来ない。後ろから来ます」と話されます」と副住職の藤川淳二さんの話が熱を帯びてきた。
亡父は花が好きだった。副住職が帰宅後、花瓶に生けた花をスケッチした。日にち薬とはいえ、描きながら、視力が回復してきていることを日々実感する。
2時間の難しい手術をしていただいた兵庫県立西宮病院の森藤寛子先生にひたすら感謝である。以前にも書いたが、
森藤先生の手術の経過を体感したあと特に、生半可な生き方をしてはいけないと改めて痛感した次第である。(了)