羽田英彦展ー傘寿を迎えて
江嵜企画代表・Ken
羽田英彦展―傘寿を迎えてPart2―が、3月12日(火)11時からアトリエ西宮で開かれ、楽しみにして出かけた。いつものように会場風景をスケッチした。
アトリエ西宮は、初めての場所だったが、最寄り駅の阪神西宮駅下車,えびす口を出て海側に向かって徒歩5分足らずのところにあった。
31点の羽田画伯おなじみの「赤」の作品が会場せましと並んでいた。当のアトリエでの個展は羽田画伯も初めてだと話していた。今回の作品はF30号が最も大きかった。そのあたりを羽田画伯に尋ねたら「アトリエの大きさを頭に入れながら作品を用意した」と話してくれた。
ハガキ2枚ほどの大きさの小品の中に、心象風景と銘打って「湖北の朝」、「梁の鴨」、「湖畔」、「湖北の夕照」、「湖北の山並み」5点が特に印象に残った。
羽田画伯との縁は昭和26年(1951)、母校、甲陽学院中学1年,同じクラスの時からだからかれこれ70年近い。今回の個展にも「傘寿を迎えてPart2」とサブタイトルがついている。いつの間にかお互い80歳となったが、人生短いなと改めて思う。
以前にも触れたが、中学1年の美術担当の先生が須田剋太画伯だった。羽田画伯は須田画伯にしびれて絵描きになった。この日も先客の男性に「須田剋太先生に描いた絵を持っていくと、いつも、うまい、うまいと、褒められた。」と、ついこの間の時の話のように相好を崩して話していた。
須田剋太先生は羽田少年だけを褒めたのではない。生徒全ての作品を褒めた。須田先生の話では、ピカソの描いた「青の時代」の作品を数点子供に見せ、「ピカソは多くの具象作品を残している。後年,抽象画家になった。」と話されたことが今も鮮明に記憶に残っている。
羽田画伯は、昨年秋、長年の教育界での功績と阪神淡路大震災の時に地元の学校の再建に関わり地域に貢献したことを顕彰された。また、「昨年秋には、150号の「赤」の大作を是非母校にとの願いを今西昭甲陽学院中学高校校長が快諾、母校中学校の玄関に展示いただいた。誠に光栄だ」とこの日、話していた。
最寄りにお出かけの向きは、アトリエ西宮(0798-22-0322)へお立ち寄りいただければありがたい。(了)