「御影公会堂」風景
江嵜企画代表・Ken
人間が生きるための情報は眼からほぼ80%得られるとよく言われる。視力が徐々に回復してくると、嬉しいことに、絵心も刺激される。
好天に恵まれたことを幸いに先日、お昼、腹ごしらえを済ませた後、大阪と神戸の間、東西に走る国道2号線に沿って、西に向かって緩やかな下りを、自宅マンションから徒歩約15~6分、六甲の山から大阪湾に南北に流れる石屋川と交差する東北角にある御影公会堂へ、今年取り組む画材探しも兼ねて出かけた。
六甲の山並みを背に、国道2号線をまたいで御影公会堂をスケッチした。以前にも描いたが、2年前に耐震改修工事が行われてからは初めてとなる。
御影公会堂は、昭和8年建設後、昭和20年(1945)神戸大空襲で、外壁を残し、内部はほぼ全焼した。昭和28年(1953)改修工事され、利用が再開された。
昭和58年(1983)年までは結婚式場としても延べ2万組が挙式した。平成7年(1995)、阪神・淡路大震災にも倒壊を免れ避難場所として使われた。
白鶴ホールでは各種演奏会、講演会などが開催されている。会議室、集会場があり各種会合に利用されている。
御影公会堂は、旧御影町が白鶴酒造7代目社長、加納治五郎より寄付を受けて昭和8年(1933)に建設された。加納翁は、御影公会堂に先立ち昭和6年(1931)に白鶴美術館も設立している。
御影公会堂の地下一階に「御影郷土資料室」と「加納治五郎記念コーナー」がある。入るなりコーナー正面、柔道着姿の治五郎の銅像と対面する。加納治五郎は、旧御影村浜東の出身で、生誕地は、菊正宗酒造の本社内にある。数年前に、同本社建物横に石碑が設置された。
講道館を創設した柔道の創設者である。日本人初の国際オリンピック委員を務めた。灘中・灘高の創設にも関わり、養育者としても尽力したと、資料室の解説にあった。
御影公会堂が建てられたいきさつが資料室に展示されている白鶴酒造社内紙、昭和8年6月,第77号に出ていた。
「公会堂建設資金を御影町がかねてから積み立てていたがなかなか目標額に届かなかった。伝え聞いた加納翁が2万円をポンと出した。あと令息はじめ白鶴酒蔵が集めた24万円で建設された。落成式には加納翁と夫人も参列した。」とあった。
御影公会堂へのアクセスは、阪神電鉄石屋川駅から徒歩5分だから一番便利である。徒歩を選ぶなら、JR神戸線なら住吉駅から国道2号線道なりに西に向かってゆっくり歩いて20分のところにある。阪急御影駅からも石屋川に沿って南に下れば20分で着く。
加納治五郎は、2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリンピック噺~』に役所広司扮する役で登場している。今年は御影公会堂を訪れる人も増えるかもしれない。(了)