私が考え実践する哲学について以下に簡潔に記します。
哲学の目的はテクストを読むことではありません。
過去の哲学者の本を読むことは、練習問題を解くこと=思考の訓練としての意味を持ちますが、それはあくまでも手段です。
目的は、原理的に考える頭を鍛(きた)えることによって、具体的な諸問題を解析し、『 よい』の内実を吟味―変革―豊饒(ほうじょう)化することにあります。
ソクラテスが看破したように、本来、哲学とは生きた話し言葉=ディアレクティケー(問答法)の営みであり、書き言葉はその影にしか過ぎないのです。 文字とは想起のためのアイテムです。
権威に従うのではなく、多種多様な問題を自分の頭で考え対話することは、人生最大の愉悦です。哲学=考えるとは自由の実践であり、人間としての生のよろこびそのものなのです。
哲学の本質は、恋愛としての知です。資格としての知や優越としての知ではありません。
哲学の内容は、真・善・美の内実です。集積化―体系化された知識ではありません。
哲学の方法は、原理にまで下る思考です。権威に従うことや、丸覚えではありません。
哲学の目的は、エロース豊かな生=存在の魅力化です。知識・履歴・財産等の所有ではありません。
2005.5.31 「白樺教育館」哲学の会・案内に書いたものから抜粋してみました。 武田康弘