思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

シリーズ哲学の核心 〈ロマンー理念を育むこと〉と〈ロマン主義―理念主義〉

2005-07-06 | 恋知(哲学)

Aさんへの手紙

人間はふつう誰でも、ロマンや理念を持ち、さまざまなストーリーを思い描きます。その意味では、人はみな詩人であり、物語作家であるわけです。ロマンや理念は、人間の生を意味づけ、支え、魅力的なものにする役割を持ちます。
逆に、人間のよさー美しさー魅力とは、その人の抱くロマン・理念の豊かさとクオリティの高さのことだとも言えるでしょう。

しかし、言うまでもないことですが、物語や詩は、実人生―現実ではありません。物語と実人生では次元が異なります。言語論的には、言語をその用法・機能のさせ方の違いから、日常言語(第一次言語)と文学および理論言語(第二次言語)に階層分けすること、と言えます。両者は同じ言語でも、次元が異なります。

普通は自明のはずの両者の区別は、知らずうちに混同されることがあります。そうなると〈ロマン主義―理念主義〉に陥ります。さらに、その異常さ・コッケイさにいつまでも気づかずに、演劇と実人生を完全に逆転させてしまうのが、オカルトや新・宗教の信者だといえます。

ロマンや理念を持ち、それを自分の「生活世界」を豊かにするように上手に育むことは、人間としての「意味ある生」をつくる基本条件です。
しかし、ロマンや理念を実人生と混同すれば、無用な混乱やおぞましい結果を招いてしまいます。例えて言えば、ロマン・理念主義者とは、悪役の俳優に怒って舞台に上がってしまう観客のようなものです。

人間が第二次言語(文学言語や理論言語)の世界をつくるのは、そこに閉じこもるためではなく、実人生―現実、「生活世界」の全体に豊かさ、多様性をつくり出すためであり、また問題を発見し、その解決の方途を探るためですが、ロマンや理念を抱く意味もこれと全く同じことです。くれぐれも「主義」に転落しないように注意したいと思います。

(1998年9月21日―Aさんへの手紙-2005年7月6日・改定)


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