人間の心と社会は、「象徴」が支配するのです。
人間とは観念の動物です。
だから「現実」以上に「象徴」が力をもつのです。
近代日本は、「天皇」―「靖国」―「東大」―「官僚」という『権威』を拵(こしら)えることで、「民」を支配してきました。
『権威』とは麻薬のことです。理性を鈍磨させて、思考作用を止めてしまうのです。「民」に理性がない?のでは全くありません。民の理性を表に出さないように抑えこんでいるのが「権威」のオモシです。中身―内容が乏しいから「権威」が必要となるのです。
形式を整えた、しかし中身の薄い言説を吐く人
単なる「事実学」を累積して、パターン化した言葉を披露するだけの人間、
ソクラテスのいう、ほんとうのことは何も知らない権威者や権力者、
彼らを「頭がいい」!?「偉い」!?と評価する「愚かな社会」をつくっているのが、権威主義的な「象徴」です。
では、ここからどうしたら脱却できるのか?
象徴を排除する?
いや、人間は象徴を必要とするのですから、排除することはできません。
次々と豊かなよきものが湧き出るような、善・美を生み出す「象徴」を持つこと=育てることです。
私にとってそれは「民知」=恋知としての哲学です。世間体とも固着や権威とも無縁なエロースの生を支える象徴です。実存としての生をつくる理念です。
みなさんにもぜひ「民知」の側に立って生きることをお勧めします。ほんとうの人生が始まります。私が請合います(笑)。
7月28日 武田康弘