わたしのライフワークは、「ものごとの知り方を変えること」です。
勉強、学習、学問の概念=スタイルと内容の双方を変更することです。
ハウツーの薄っぺらな「受験知」、
「事実学」累積の不毛性、
単なる「言語」の演繹を高等な知だとする妄想、
「生活世界」の根源性を知らず、既存の知の「体系」を前提にするアカデミズム、
一言で言えば、平面的=二次元的な知のありようの変更です。
意味を問う知、立体的な三次元の知、人間的な、真の有用性をもつ生きた知、
この「意味論」と「本質学」のことを、私は経験的なふつうの言葉にしてみました。それが「民知」です。日々の具体的経験から立ち上げる知、生のエロースに結びついている根のある知のことです。
「民知」とは、「学知」を含む「生活世界」全体の変更をもたらす「知」に対する基本的な姿勢、「知」の遇し方のことです。
権威や抑圧、重しとしての知を元から廃し、みなの得と徳になる知、悦びの知、人生が広がる知、自由が拡大する知です。真に自分自身から出発する人生をサポートする知の原理が「民知」です。
わたしのライフワークは、民知の実践です。
神経過敏の「言語依存症」や、単なる実務的な知とは次元を異にする、
スケールの大きなエロース溢れる知=民知の実践をぜひ共に。
7月11日の民知の補足説明ー1「実存的回心を引き起こすもの」もお読み下さい(クリック)
「民知宣言」全文はクリックして下さい。
7.18 武田康弘