思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「民知」=「恋知」(エロースの知)の方法とは?

2005-07-20 | 恋知(哲学)

民知としての知=恋知(エロースの知)の方法とは、一言で言えば、意味了解の反復・反芻です。このことは昨年「知?無知?意味了解の反復」として書きましたが、少し変えて、「民知の方法」として説明してみます。


民知とは、意識的な「知」の世界につくことでも、無意識的な「身体性」の世界につくことでもありません。
何がほんとうに「よい」ことなのか?-心身全体に深い納得がやってくるような考え=生活世界での思考と実践から生まれる「よい」につくことです。
 
個別の学問がもたらす部分合理性の世界の下に広がる広大な「人間性」の領野―生活世界の「よい」の基準は、五感全体による深い納得に基づくもので、その「よい」が「学知」を含むあらゆる事象を判断する最終根拠となるのです。これは「認識論」の原理です。
では、生活―経験に根をもつほんとうの「よい」はどのようにしたら得られるのでしょうか?

「人間性」に応えるこの「よい」の世界は、わたしが思うところ、行為であれ思索であれ反復・反芻することが喜びとなるような世界です。キーワードは「反復」です。反復に耐えうるまでに鍛えられた「知」は、無意識―身体にまで届き、それと融合する知、「部分合理性」を超えた知であると言えるでしょう。

単に概念的な知―言葉上の知にとどまらず、深く心身に届く知とは、意味了解の反復によってつくられる世界です。機械的な反復ではなく、意味を追いながらの反復には、豊かで確かな喜びがあります。それが知の上滑りー知が先立つことー主知主義の厭らしさー言葉上の理屈の世界を超え、知と心身・魂と肉体の統合を生み出すのです。

意味了解の反復に耐える確かな内容をもった考えや行為とともに生きることは、人生最大の幸せです。不動の確信―自信が自ずとやってくるからです。民知とは、<直観=体験から得られるほんものの知、心身全体で生きる根のある生活、深く納得できるエロースあふれる人生>を歩むための「知」なのです。

民知=エロース豊かな恋知と共に。


7月20日 武田康弘




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