思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

うむ~「周り」は自己抑圧人!自分と世間ー(白樺ML公開)

2005-07-05 | メール・往復書簡

白樺MLのメールやりとりです。


武田様

最近体験したこと。
あるところの機関紙の編集委員会で、8月は平和に関することを特集記事に
したいという意見が出た時、一方で、「それはまずい。この機関紙でそれを
取り上げるのは恐い」という意見が出ました。
発言した人は、思想的に色をつけずに平和を取り上げることの難しさを思い、
出来るだけ無難に済ませたいという気持ちが働いたのでしょう。
そのやりとりを聞きながら、いつのまにか平和について真正面から大声では語れ
なくなった最近のこの国の異常さを感じました。

“ヒステリー的な「思い」だけの運動、「立場」や「主義」を固く守りるだけの愚行”
イデオロギー色をプンプンさせた平和運動のあり方にも問題があったのでしょうね。
うっかり「平和」を特集記事にすると、そういうものと同一視されるという懸念は
確かにありますよね。

一方で我々一般の市民の側の問題ですが‥
殆どの人は平和を何よりも大切なものだと思っているでしょうし、誰かに平和に
ついて大声で語ってはいけないなんて言われたわけじゃない。
それなのに、どこかで目に見えない何かをおそれ、セーブしてしまうということの根は
17年前の「自粛」の連鎖の時の考え方とも繫がりますか?
こういう考え方って儒教思想と関係がありますか?
どの民族にも共通して起こり得ることですか?

自分自身の変革の努力と周りへの働きかけと‥私に出来ることはとても小さい
ですが、「精進」します。これからもどうぞよろしく!
楊原

==================================================================

やなぎはら様。

「17年前の「自粛」の連鎖の時の考え方とも繫がりますか?
こういう考え方って儒教思想と関係がありますか?
どの民族にも共通して起こり得ることですか?」

繋がるし、関係あるし、起こり得る、とも言えますが、
体制的なもの、世間体への過度の恐怖心(本人は適度のと思っている?)は、個人のていたらく、「やわで弱っちい」臆病者のわが日本人の特徴ですね。
人前で自分の考えを話すこともできず、自分のフィールドだけでしか生きられない大人ばかりが目立つ国など「お笑い」で「お終い」ですよね。
これは確かに「教育」のせいです(「人間力」をつくらない「情報知」と「制度知」のみの愚かな教育が「輪郭線だけの世間体人間」をつくる)。
だから、問題の核心は自己変革にあるのです。
社会を批判する前に、己を知り、しっかりと自由に生きることのできる自分を育てることが何よりも必要です。
私が○○さんなどを鍛え続けたのもそういう思いからです。
私の見るところ誰ひとり及第者はいません。念のため言いますが、武田が完璧などと言っているのではありません。相互学習が「哲学の会」であり「白樺フィロソフィー」なのですから。互いに精神のおおもとを鍛えるほんとうの強さ=優しさを育て合いたいと思います。

ご意見ありがとうございました。

====================================

武田様

お返事頂き、ありがとうございます。

体制的なもの、世間体への過度の恐怖心(本人は適度のと思っている?)は、
個人のていたらく、「やわで弱っちい」臆病者のわが日本人の特徴ですね。
お上には楯突かず、長いものに巻かれて生きるのを得意とする日本人には
これが染み付いていて、必要以上に謙遜し、問題に真正面から向き合おうとせず
自己満足への楽な道へと逃げ出してしまうんですよね。
この特徴、自分にもどこかに染み付いているのを感じます。
これでは本当のエロースは得られないと分かってはいても、抜け出すのは意外と
難しい。この意識下の「日本人」が時々無意識に顔を出すから厄介です。
自分自身の心の葛藤を乗り越えたとしても、次に周りとの軋轢が生じますから
結構しんどいことですが、変わらねば!

客観世界の側の矛盾を立て直すためには、一人ひとりが心のうちの魂のあり方から
変えていく必要があるということがよく分かりました。
ありがとうございました。
楊原

====================================

「客観世界の側の矛盾を立て直すためには、一人ひとりが心のうちの魂のあり方から変えてい必要がある」(楊原)

一番難しく、一番面白く、一番有意義な課題です。共に!

武田

困った問題ですが、これでは「まずい」と思った人間が、少し勇気を出して、人に多少いやなことを言われても知らないふりをして、すこしづづ個人の自立のエロースを広げていきましょう! 「政治的意見」の同一性を重んじるのではなく、「自分の頭で考えて行動する」人を重んじたいと思います。(武田)

2005.7.5








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする