思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

【私の悦びや楽しさを広げるために】ー独我論は根源的不幸

2007-06-21 | 恋知(哲学)


例えば、家具や家電を買うとき、例えば、物をつくり、家の修繕をする時、自分だけの趣味で買う、つくるでいいでしょうか。そうではなく、そこに住まう人、使う人みなの「思い」を出し合い・聞き合いするというプロセスを踏まないと、世界は広がらないはずです。みなの心の思いを知り、それを生かすように心がけると、私の心には、自分ひとりの満足を超えた広々とした悦びがやって来る、これは誰でもが体験的に知っていることでしょう。

卑近な例ですが、わたしは自宅の他に、私塾をつくり、その後で白樺文学館をつくり、更に白樺教育館をつくりましたが、いつも参加者・使用者の「思い」をよく聞き、使用者の心と体になったつもりで建物を建て・設備を整え・物づくりをしてきました。この空間って気持ちいいですね~、これは使い勝手がいいな、いい感じの建物ですね~、こんなのないですよ・・・と皆によろこばれるのは、何よりもうれしいことです。

わたしはわたし、あなたはあなた。それでは、人生は殺伐とした寂しいものにしかなりません。悦びや楽しさを広げるためには、相手の心の思いを知り、共感・共鳴できる部分を増やしていく努力が必要です。

そのために何より大切なのは、たくさんおしゃべりをすること。どんなことでも言い合い・聞き合いする習慣をつけないと、生きた頭にはならないので、よい関係を広げていくことはできません。損得・利害の関係をつくるのではなく、全人的な人間関係をひろげていくには、豊かな会話・対話が必要ですが、わが日本人にはこれがひどく欠けています。ホンネを出し合うことでホンネを鍛え合う習慣をつけないと、ただ「お上手」なだけで、内容貧弱な人間にしかなれません。根源的不幸に陥ります。

私の悦びや楽しさを広げるには、たくさんおしゃべりをする中で、他者の「思い」をよき聞き、共感・共鳴できる部分を少しずつ増やすことです。自分の得だけを考え、自分の気持ちだけを押し通す独我論的態度は、その人の人生を狭くつまらないものにしかしません。
人生が広がり深まるという意味で「皆」がよろこぶことをするのは、何よりも大きな「私」のよろこびです。

武田康弘



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