多くのわが日本人は、政治的・社会的な意見を言いません。家庭でも話しません。
また、15年戦争・天皇神格化の近代史について話すこともしません(親や教師も事実を知らないようです)。
しかし、これは、人間の品位を下げます。
自分自身が生きる場であるこの社会いついての考えを練り、きちんと表明するという社会人としての基本がないのは、ひとりの人間として致命的な欠陥です。
関心のあることは「即物的な価値」についてでしかないというのは、下品な存在であることの証です。政治批判がなく、保守政治への迎合しか示さないのは、ドレイの生でしかありません。
品位の低い人たち=保守主義者が大手を振るう社会では、現状維持がいいところですが、それはジリ貧の社会=ぬるま湯の社会=カエルの釜茹による「死」しかもたらさないでしょう。
批判精神と現状に挑戦する気概のない「せこい」人は、自分自身が不幸になるだけではなく、周囲や社会を緩慢な死へと陥れる【根源悪】であり、愚かで下品な存在だとしか言えません。
【理念の絶対化による固着・硬直した精神=理念・ロマン主義】とは無縁の【厳しい現実の中で豊かな理念やロマンを育てつつ生きる】という人間の人間としての品位ある生を営むためには、自己保身・現状無批判・保守主義に陥らずに、しっかりと意見表明ができる人間になることです。
そのような日本人が少数なのは、ほんとうに困ったことです。政治・社会問題についての考えをまとめ、きちんとした意見が言えるようになるための努力はよく生きるための基本です。そうでないと、「エリート主義」という名の下劣なイデオロギーに支配されてしまいす。民主主義国家の主人は、主権者=わたしとあなたなのに、です。
武田康弘